「当たり前のことにこそ、感謝を伝えましょう」
そう語るのはアメリカン・エキスプレスの元営業である福島靖さん。世界的ホテルチェーンのリッツ・カールトンを経て、31歳でアメックスの法人営業になるも、当初は成績最下位に。そこで、リッツ・カールトンで磨いた「目の前の人の記憶に残る技術」を応用した独自の手法を実践したことで、わずか1年で紹介数が激増。社内で表彰されるほどの成績を出しました。
その福島さんの初の著書が『記憶に残る人になる』。ガツガツせずに信頼を得るための考え方が満載で、「本質的な内容にとても共感した!」「営業にかぎらず、人と向き合うすべての仕事に役立つと思う!」と話題。この記事では、本書より一部を抜粋・編集し、「感謝する気持ち」を持てるようになったきっかけについて紹介します。
関わる人みんなに感謝ができる人は、自分にとってメリットのある相手にしか感謝しない人の何十倍、何百倍もの信頼を得ています。
「感謝できることが見つからない」と言う人もいますが、感謝する対象は特別なことでなくていいと思います。
「当たり前の行動」に感謝すればいいんです。
僕が「当たり前のありがたさ」を実感できたのは、ある経験によってでした。
がむしゃらに働くなかで出会った
ある被災者の言葉
アメックスに入社した当時、僕には生後間もない娘がいました。
平日は毎日遅くまで働くようになり、帰宅する頃には子供は寝ているため、話したり遊んだりできるのは朝と週末だけに。でも仕事で結果をだすことが、家族への貢献だと信じていました。
そんなときあるイベントで、東日本大震災で娘を亡くされた被災者の男性と出会いました。その男性は、こう語りました。
「仕事に行っても、家に帰ればまた会える。明日も会える。疑うことなくそう信じていた家族と、“いってらっしゃい!”の言葉を最後に二度と会えなくなった」
彼の話を聞いた僕は、いてもたってもいられなくなり、すぐに宮城県石巻市へ向かいました。
街中には多くの慰霊碑が立ち、そこにはたくさんの名前が刻まれていました。名前は子供が両親からもらう、人生で最初のプレゼントなのかもしれない。一つひとつの名前を見ていてそう感じた僕は、娘の名前を考えていたときの光景を思い出し、つい涙が出てしまいました。
被災地から帰宅した僕は、
夜中にもかかわらず大泣きした
その日の夜。自宅に帰った僕が寝室に入ると、寝相の悪い娘は豪快に布団をはいで寝ていました。
「風邪ひくよ」と、布団をそっとかけたとき。僕の手が子供の手に触れました。
……温かい。
娘が「生きている」という当たり前を、初めて実感しました。
毎日遅くに帰ってきても、妻や娘に会えること。元気で生きていてくれること。それは当たり前なんかじゃなくて、ありがたいことなのだ。
そのありがたさに、僕は感謝できているだろうか。もしも今、家族に会えなくなったら、僕はきっと後悔するだろう。
感謝の気持ちが込みあげて、夜中にもかかわらず一人で大泣きしてしまいました。
僕は家族のために働いていると思っていましたが、家族がいるから毎日の仕事に向かっていくことができていたのだと気づきました。それからは毎晩寝るときに、「今日も本当にありがとう。パパは幸せだったよ」と、家族に伝えています。被災地を訪れ、家族を失うつらさを感じたことで、家族がいるありがたさに気づけました。
「当たり前」の価値に感謝しよう
思うに、みんな必死に頑張って、どうにか当たり前を保っています。
あなたのお客様は、息つく暇もないなかで時間をつくって会ってくれたのかもしれません。トラブルの最中に会社を抜け出してきてくれたのかもしれません。
あなたの後輩は、他の仕事を後回しにして、その報告書を仕上げてくれたのかもしれません。もしかしたら家族と過ごす時間を削ってくれたのかもしれません。
つまり「当たり前」とは、価値のないものではありません。その価値に気づけていないもののことです。ですから感謝する必要のない当たり前なんて存在しないんです。
その当たり前の価値に目を向けて、感謝の気持ちを伝えられる人が、信頼を得られるのです。
(本稿は、書籍『記憶に残る人になる』から一部抜粋した内容です。)
「福島靖事務所」代表
経営・営業コンサルティング、事業開発、講演、セミナー等を請け負う。地元の愛媛から18歳で上京。居酒屋店員やバーテンダーなどを経て、24歳でザ・リッツ・カールトン東京に入社。31歳でアメリカン・エキスプレス・インターナショナル・インコーポレイテッドに入社し、法人営業を担当。お客様の記憶に残ることを目指し、1年で紹介数が激増。社内表彰されるほどの成績となった。その後、全営業の上位5%にあたるシニア・セールス・プロフェッショナルになる。株式会社OpenSkyを経て、40歳で独立。『記憶に残る人になる』が初の著書となる。