深刻化する医療現場の課題と
解決への道のり

 中国では近年、医療の技術革新が目覚ましい。ICTにより、カルテやワクチン記録など、あらゆる情報をアプリで閲覧できる。オンラインの遠隔診療も進み、病院の予約、会計、処方、薬の受け取りもスマートフォンで可能となった。しかし、これらの先端技術で医師の命を守れるのだろうか。

 冒頭で紹介した、今年7月に亡くなった男性医師は、カテーテル手術など冠動脈形成術分野で中国でも屈指の外科医であり、生前は、勤勉で献身的な医師として、同僚や患者から尊敬を集めていた。襲われた時は、昼休みを返上して、午前中の患者を診ている最中だったという。多くの命を救ってきた彼は、犯人に襲われて「助けて!助けて!」と叫んだが、自身の命は救えなかった。なんと理不尽で無念なことだろう。

 SNSでは、「病院の入り口にセキュリティーを設置すべきだ」「医者がヘルメットを付けて診察をする時代になった」といった皮肉な意見が飛び交っているが、問題の本質はそこにはないだろう。

 今回の事件を受けて、国家衛生委員会は、「医師の死を悼み、その家族と親族に哀悼の意を表する。(略)医療関係者に対する暴力は重大な犯罪であり、我々は強く非難する。医師に対する傷害は、医療関係者の合法的な権益を著しく侵害するだけでなく、医療サービスの正常な秩序を乱し、一般公衆の利益を損なうものである、決して容認できるものではない」という声明を出した。

 これまで、医師が犠牲となるたびに、政府は対策を講じ、専門家やメディアはさまざまな分析や解決策を提案してきた。しかし、事態は改善していない。ある専門家は「制度の問題以前に、命に対して敬畏の念を抱く教育がおろそかになったのではないか」と指摘し、そして、偉大な文学者・魯迅の言葉を引用した。

 魯迅は医者の道を絶ってペンを執ることにした理由を、次のように述べている。

「あのことがあって以来、私は、医学などは肝要でない、と考えるようになった。愚弱な国民は、たとえ体格がよく、どんなに頑強であっても、せいぜいくだらぬ見せしめの材料と、その見物人となるだけだ。病気したり死んだりする人間がたとい多かろうと、そんなことは不幸とまではいえぬのだ。むしろわれわれの最初に果たすべき任務は、かれらの精神を改造することだ。そして、精神の改造に役立つものといえば、当時の私の考えでは、むろん文芸が第一だった。そこで文芸運動をおこす気になった」(竹内好訳『阿Q正伝・狂人日記』より「吶喊」自序)

 医師がリスクの高い、危険な職業となり、医師になりたいという志を持つ人が減る。医師は長時間勤務で慢性的に人手不足。病院での待ち時間はさらに長くなり、患者の不満はさらに高まる……。このような悪循環が続く社会では、勝者は一人もおらず、共倒れしていくだけだ。今の中国は、こんな矛盾を越えられないでいる。

「患者の息子が医師をメッタ刺し」「血の海で倒れる女医」…中国でなぜ医師が患者に殺されるのか