東日本大震災から10年という節目、宮城県仙台市での「音楽の日」ライブで一夜限りのFUNKY MONKEY BABYS復活のオファーを受けたファンキー加藤。ソロとしての大きな仕事を成し遂げていないという思いから一度は断ったものの、結局は思いもしない方向へと進んでいく。ファンキー加藤を突き動かしたものは、なんだったのか。※本稿は、ファンキー加藤『未完声』(徳間書店)の一部を抜粋・編集したものです。
最初は断った
復活のオファー
ファンモンの再始動のことを、もう1度話しておきたい。
一夜限りの復活も、本格的な再始動も、ちょいちょい話としてはあった。
だけど、俺が頑なにずっと断り続けていた。
ソロになって、ファンモンという大きな看板に守られている部分もあったけど、やっぱり独り立ちをしないと。いつまでも「元ファンモンのーー」という枕詞みたいなものから離れられない。これはちょっとよろしくないな、前に進めてないな、ってずっと思っていたから。
だから、意識的にファンモンという看板を遠ざけていた時期があった。
もし、そこで何か1つでも、自分が納得するような大きなものを残せていたら、全然考え方は違ったのかもしれない。
だけど「ソロのファンキー加藤として大きな仕事を成し遂げたか?」といえば、全然成し遂げていないし、そんな実感は自分の中になかった。だから、再結成の話はずっと断っていた。
そんなときにいただいたのが、2021年3月11日の「音楽の日」への出演オファーだ。東日本大震災から10年という節目にファンモンを一夜限りで復活させないかという。宮城県仙台市の楽天生命パーク宮城(現・楽天モバイルパーク宮城)から、生中継でファンモンの歌声を日本全国に届けてほしいというものだった。
オファーは1年前だったかな。TBSからオファーがあったとき、俺は最初「お断りします」と。でもモン吉は逆で「いつでも喜んで」みたいな感じだった。