「俺が死ねば、あいつ、困るかな」いじめに苦しんだファンキー加藤を救った2つのもの

ファンキー加藤にモン吉、そしてもう1人はDJなのにステージではDJをしない、ケミカル。彼は実家の寺を継いで、住職となることが運命づけられていた。やがてその時が来て、約10年続いたFUNKY MONKEY BABYSは2013年に解散。ファンキー加藤はソロとして活動を始める。その後、リリースした「輝け」は「自分の中でステップアップできた曲だった」という。音楽活動において「輝くこと」を大事なテーマとする背景には、少年時代の壮絶体験があった。※本稿は、ファンキー加藤『未完声』(徳間書店)の一部を抜粋・編集したものです。

レジェンドに励まされた
ソロでのスタート

「加藤くん、1人で始めたんだって?すごくいいと思うよ」

 マッキー(槇原敬之)さんは微笑みながら、こう言ったんだ。

「結局、人って1人だからね」

 槇原さんはずっとソロミュージシャンとしてやってこられた人。グループで音楽を作っていくのではなく、1人で楽曲の最初から最後まで完結させてきた人。

「ありがとうございます!今、自分の中ですごく勇気が湧きました」

 そんな会話をしたのをよく覚えている。

 そうだ、結局、人間は1人なんだよな……。マッキーさんの言葉にも支えられながら、俺はソロの道を歩み始めた。

 楽曲制作も、ソロになると全然違った。

 ファンモンのころは、みんなでスタジオに入って、みんなで作った。だからファンモンの楽曲のクレジットは、すべて「作詞・作曲:FUNKY MONKEY BABYS」で統一していた。

 この曲は俺が作詞したから俺、この曲は俺とモン吉で作ったから2人の名前を載せるとかやりだすと、ややこしくなるし面倒くさいから統一した。

チームでの楽曲制作での
最終兵器な言い訳

 ただね、ケミカルはスタジオにちゃんと来るは来るんだけど、ずっと俺とモン吉で曲作りに頭を悩ませているとき、基本、ケミカルは端っこのほうで寝てた(笑)。それを見た最初のころは俺もイラッとして、

「お前、今、寝てたよね!?」

 と言ったこともあった。

 でも、ケミカルはすました顔でこう返すんだよ。