言葉の魔術師として知られる古舘伊知郎さんが、自らを「平凡な人間」「ニセモノ」と語りながら、天才たちの中で生き抜いてきた方法とは。新著『伝えるための準備学』を上梓した古館さんにインタビュー。綿密な準備と、日常の中で見つけた言葉の収集術、そして開き直る姿勢に迫る。(構成/田之上 真、編集/三島雅司)

平凡を認め、
開き直りが生んだ強さ

「僕はしょせん“ニセモノ”だ…」古舘伊知郎が語る、二流が一流に立ち向かう方法古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)

――新著『伝えるための準備学』のオビに、「平凡な僕が、天才たちの中で生き抜いてきた方法」とあります。世間一般には、古舘さんは言葉を変幻自在に操る、言葉の魔術師、言葉の天才のように思われていると感じるのですが。

 僕は平凡な人間だと自認しています。だからアントニオ猪木やアイルトン・セナのような天才たちの中で生き抜くために、自分なりにさまざまな「準備」をしてきたんです。実況中継などで瞬時に言葉を発せられるのは、準備のおかげです。本当の意味での「アドリブ」など一つもなく、日々の準備によって自分の中に沈澱した言葉や考えがふと湧き上がってくる。それが結果として「アドリブ」と呼ばれるのです。

 平凡であると同時に、僕はしょせん「ニセモノ」だという意識があります。それを強く認識したのは「報道ステーション」のキャスターの時代です。政治家をはじめ各分野の専門家に切り込んでいく時に、どんなに準備をしても、とうてい相手のレベルには遠く及ばないわけです。

 それならばいっそのこと「ニセモノ」だと認めて、付け焼刃でやらせていただきますよと開き直ったほうが楽だなと思ったんです。結果的に、そうして対峙することで、初めて見えてくるものもあります。

 開き直りというのは、僕のような凡人に許された最強の武器といえます。当然できるかぎりの準備はしますが、その上で最後は「ニセモノ」であると開き直って本番に臨んだほうが、いい結果が生まれることもあると思っています。