以上の分類はどれも決定的なものではなく、互いに両立し得ないものでもない。これらの用語は勇気を概念化するのに役立つ。

 大切なのは、自分にとって、もっと勇気を出すとは何を意味するのかを定義し、それを実践しながら生きることだ。

恐怖に立ち向かう行動の
すべてが勇敢とは言えない

 私自身にとっての勇気とは、リスクや、恐れを感じても、逆境、あるいは人の反対に遭っても、崇高な目標、あるいは人生を向上させる目標のために、やると決めたことを決行することだと思っている。

 私にとって重要な定義は「崇高」と「人生を向上させる」という部分だ。なぜなら、恐怖に立ち向かう行動のすべてが勇敢とは言えないからだ。たとえば、自爆テロ犯も、勇気の条件を満たしているように思われるかもしれない。間違いなく恐怖を感じていても、やると決めたことを決行しているし、自分なりの崇高な目標を持っている。また、最低でも刑務所行きのリスクを冒して空き巣を働くのも同じである。

 そうした行為は勇敢と言えるだろうか?ほとんどの人がノーと言うだろう。なぜなら、たとえ勇気の条件をある程度満たしていても、彼らの行為は、少なくとも社会の大多数にとっては、危険だったり破壊的だったりするからだ。危害を加えないというのは、勇気の大事なポイントである。