最初のうちは順調だった。ところが戦後最大の不況と言われた年で、企業の倒産が相次ぎ、取引先の山形のメリヤス工場の手形は次々と不渡りになった。食べるにも事欠くようになり、2人のキューピッド役となった吉村の弟の隆が、パチンコの景品でとった牛肉の缶詰や鮭缶を差し入れている。

 思ったらすぐ行動に出るのは若い頃からだったのか、津村は吉村に代わって山形のメリヤス工場に手形を落とす交渉にも行った。

「これ、どうしてくれるの?」

 と業者に手形を示すと、

「うちも事情が事情だから、払うものも払えない」

 と言われた。結局現物支給となって、毛糸のセーターや腹巻、茶羽織が送られてきて、新婚のアパート1間がいっぱいになった。

 それをなんとか現金化しなければ、明日から食べていけない。友人の父親が茨城県日立市にある会社の重役で、購買部に置いてもらえないかと、津村は日立まで行って商品を見せている。しかし寒地の農村や漁村用に作られた厚手の衣類なので関東圏では売れなかった。東北、北海道に行くしかないと吉村が言い出し、一足先に1人で行商の旅に出た。