関ヶ原の戦いで家康相手に「正面突破の負け戦」、島津義弘に学ぶ「意味ある負け方」とは?写真はイメージです Photo:PIXTA

負けると分かっている戦いで、最後までどう戦うか――その負け方が、後々のその人の未来を左右することがある。連載『歴史失敗学』第6回では、関ヶ原合戦で島津義弘が繰り広げた「負けいくさ」での戦いぶりを見ながら「全力で負ける」意味を考える。(作家・歴史研究家 瀧澤 中)

41人の議員票を集めた議員の
自民党総裁選の「負け方」

 戦いには「趨勢」というものがあって、状態が固まってくれば挽回できない局面が必ずやってくる。実はこの「負けが決まった段階で何をするのか」というのが、未来に大きな影響を及ぼすことはあまり指摘されない。

「どうせ負けるんだろ」と気力を欠いた負け方をすれば、次につながらない。逆に最後まで気力を振り絞り、勝った側をして瞠目させる負け方は、確実に次につながる。

 今回の自民党総裁選――9人が立候補して8人は落ちた。敗れたある候補は、そのフォロワー全員のカンパによって陣営を支えた。候補がカネを出して戦う従来の総裁選ではあり得ない光景である。

 もちろん勝ちを目指したが、終盤、決選投票に臨むのが難しいのは明らかだった。それでも、ポストやカネにならないのを承知で41人の議員票が集まったことに驚いた。最後まで陣営は崩れず、おそらくこの先、この塊は何事かを成してくれると感じさせるのである。

 今回取り上げるのは、関ヶ原合戦で世界史にもまれな「敵前・前進後退」をやってのけた戦国武将・島津義弘である。敗戦必至の中でのすさまじい撤退戦。その行動の末に島津家が得たものについて、読者と共に考えたい。