「のぼうの城」水攻めはなぜ失敗したのか?秀吉の右腕が翻弄された「成功体験」とは関東7名城に数えられる忍城(写真はイメージです) Photo:PIXTA

和田竜のベストセラー小説『のぼうの城』は、野村萬斎主演の映画でも記憶に新しいだろう。史実では秀吉が自身の成功体験をもとに右腕に指示したとされる「水攻め作戦」で、のぼうの城(忍城)が落城しなかったのはなぜか。連載『歴史失敗学』第5回では、4つの視点から検証する。現代でも起こりうる組織の悪しき慣例との共通点とは?(作家・歴史研究家 瀧澤 中)

「大艦巨砲主義」を
変えなかった海軍の末路

 歴史には、他の成功モデルをまねて失敗する事例以上に、自分が成功した体験をモデルにして失敗する例を多く見かける。

 日露戦争時の日本海海戦で、日本はロシアのバルチック艦隊に圧勝する。以降、日本海軍は、「日本近海に敵艦隊をおびき出して壊滅させる」ということを海軍戦略の基本に据えた。艦隊同士が戦うのだから、より大きくて強力な艦を多く持っている方が勝つ。ここから「大艦巨砲主義」は生まれた。

 明治・大正時代まではそれでよかったであろう。しかし昭和に入り、航空機が出現してもなお、基本的な考え方を変えられなかったのは致命的であった。

「いやそんなことはない、日本海軍は航空機による攻撃で昭和16(1941)年の真珠湾奇襲作戦を成功させたではないか」

 という意見もある。確かにそうだ。しかしその後も、海軍は大艦巨砲主義を捨てていない。

 戦後、真珠湾攻撃当時の連合艦隊参謀長は「私の頭の中は、真珠湾攻撃成功後も航空機優位に転換できなかった」と吐露している。日本海軍は航空機優位を自分で証明しながら、それよりはるかに古い成功体験である日本海海戦の成功を引きずっていた。

 組織全体で成功の価値を共有している場合、その見直しは難しい。それはいつの時代にも共通しているのである。