唯一の捌(は)け口は、何も言わずに耳を傾けてくれる妻との電話だった。

「もう、ホンマにキツいから、辞めてもいい?って、大げさでなく、何十回、何百回って電話したと思います」

 口をついて出た泣き言が、果たして自分の本音だったのか。それは田中にもわからなかった。ただ、まったくの嘘、でまかせではないという妙な確信はあった。気持ちは、ほぼ折れかけていて、本当に折れてしまうまでの猶予は、どうやらほとんどなさそうだった。

涙をこらえて800人の
ファンにサインを書いた

「もし妻が、うん、いいよって言ったら、そこで一気にそっち側に気持ちがいっていたかもしれません。しんどさが、もう笑えないレベルになってたんで。『わたしも子供たちも全力でパパのことをサポートするから、もうちょっと、頑張ろうよ』って言ってくれたんで、ギリギリのところで踏みとどまれましたけど」

 仲間たちのおちょくりを笑いで返す余裕もない。自分がワールドカップのメンバーに入れるという自信もない。ただ目の前のトレーニング、目の前の1日を乗り越えていくのが精一杯になりつつあった田中だが、それでも、最終日はやってきた。