世界に多大な影響を与え、長年に渡って今なお読み継がれている古典的名著。そこには、現代の悩みや疑問にも通ずる、普遍的な答えが記されている。しかし、そのなかには非常に難解で、読破する前に挫折してしまうようなものも多い。そんな読者におすすめなのが『読破できない難解な本がわかる本』。難解な名著のエッセンスをわかりやすく解説されていると好評のロングセラーだ。本記事では、『朱子語類』を解説する。

読破できない難解な本がわかる本Photo: Adobe Stock

孔子、孟子の説いた儒学は、生活に密着した実践的内容だった。これを引き継いだ宋代の朱熹が、形而上学的な原理を導入して、宇宙と人間の関係を「理気二元論」によって説明する。そしてそこから、人間の生きるべき倫理を示した大宇宙レベルの道徳書である。

理と気で宇宙のすべてを説明する壮大な哲学

 朱子学(程朱学・程朱理学)は、南宋の朱熹によって体系化された儒教の新型と言える学問で、『朱子語類(朱熹語類)』は、朱熹(朱子)が門弟たちと交わした言葉を、朱子の死後に修正分類して編纂された書物です。

 朱熹は、性即理説をもとに、天理(天が理である)思想や、仏教思想、また、道教の正座などの瞑想法をとりいれつつ、個人と宇宙がつながっているという壮大な学問体系を展開しました。

 朱熹によると、理は形而上の存在で、気は形而下の存在です(理気二元論)。

 理と気は、密接につながっていて、気は、この世の中の万物を構成する要素としてあらゆるところに存在しています。

 気の動きが活発なときは「陽」、反対は「陰」と呼ばれます。陰陽の2つの気が凝集して木火土金水の「五行」となり、「五行」の組み合わせで万物が生じるとされます。

 さらにここから「性即理」が唱えられます。朱熹によると「性」に「理」があると考えます。

「性即理」の「性」とは心が静かな状態です。この「性」が動くと「情」が生じ、さらにこれが激しくなると「欲」となります。

 よって、「情」をコントロールして、本来の「性」を維持する必要があるのです。

 この「性」に立ち戻ることが「修己」と呼ばれます。

 では、そのように自己をコントロールする修行法はどのようなものなのでしょうか。朱熹によるとそれは「居敬窮理」と呼ばれるものです。

 まず「居敬」の心をもって、宇宙の原理としての「理」を窮め、宇宙と一体化して「理」そのものの存在になりきることが「窮理」の境地なのです。これは、達人としての悟りの境地といえるでしょう。

朱子学が日本に与えた影響とは?

 朱熹の学は、科挙試験として国家の公式の学問に認定されていました。

 よって、中国社会では朱子学を知っていることが一つのステイタスとなりました。

 朱子学は、中国だけにとどまらず、13世紀には朝鮮に伝来します。朱子学は、朝鮮王朝の国家の統治理念としてまで重んじられました。

 朝鮮(李氏朝鮮:1392年~1910年)は、それ以前の高麗の国教であった仏教を排除して、朱子学を官学とします。

 16世紀には李退渓らの偉大な儒者が出現しましたので、現在でも朝鮮文化には、朱子学の影響が大きく残っています。

 一方、日本にもこの朱子学はとてつもない影響を与えました。

 朱子学の日本への伝来は諸説ありますが、五山を中心として、元の一山一寧が学説を広めます。

 また、後醍醐天皇は、朱子学の大義名分論を深く信奉し、天地の道理をこの世界に実現すべく、鎌倉滅亡にはたらきかけ、建武の新政でその理想を実現しようとしました。鎌倉幕府が滅亡した要因の一つに朱子学があるのは驚くべきことです。

 江戸時代になると、林羅山によって大義名分論は、「上下定分の理」として封建制の基礎理念となりました。

 また、寛政の改革では、老中松平定信が、1790年(寛政2年)に寛政異学の禁を発し、聖堂学問所では朱子学以外の講義が禁止されました(聖堂学問所は、江戸幕府直轄の昌平坂学問所となる)。

 朱子学の思想は、近代日本にも影響を与えています。

 1890年(明治23年)の「教育勅語」では、「六諭」が近代日本の道徳思想として取り入れられました。

 朱熹は、現代のタイム誌の「2000年の偉人」で東洋の偉人の一人として評価されているほどです。

 日本では西洋の哲学が人気ですが、このような東洋のすぐれた学問も日本の教育にもっと取り入れていくべきではないかという声もあります。