帰宅後、2時間かけて書いたというタチアナさんの報告のメールをもとに、私はもう一度誠太郎氏に手紙を書いた。
新たな負担をかけるかもしれないことを恐れながら、温かな記憶をロシアの家族に残した三好氏の足跡を慎重に伝えた。リュドミラさんの若いころの写真も同封した。そして、来日を考えているタチアナさんのお墓参りを許してもらえないかと、こうお願いをした。
「苦しい暮らしをしていた祖母のペラゲイアさんとその子どもたちを励まし、あたたかく支えてくれた“おじいさん”に感謝の気持ちを捧げ、お花を手向けることを許していただくことはできませんでしょうか?」
父は何も話さなかったのだから
戦争がもたらしたもう1つの分断
10月末、確認の電話を入れた。
「ソ連時代は労働ばかりと思っていたから、そんな自由な時間があったなんて驚いた。子ども[リュドミラ]を育ててもらってありがたいと思ってます。でもお墓参りは遠慮してほしい、母親も入っているからまずい。
父親は何もしゃべらないで死んでいった。だからロシアの家族のことを知りたいとは思わない。こちらの写真を送る気はないし、向こうの写真ももらう気はないです。父親は何もしゃべらなかったんだからね」