「いや、そんな気はありません」。

 これ以上話す気はないという答えぶりに、突然の失礼を詫び、電話を打ち切るしかなかった。受け入れてくれれば誠太郎氏が住むZ県まで訪ねて行って、と思っていたのだが、それは無理な要望であることは確かめる必要のない雰囲気だった。

 とりつく島のない拒絶はショックだったが、何も知らない家族にとって、受け入れがたいものがあることは容易に想像できた。

 事実を伝えるということは、穏やかに暮らしている家の戸を突如こじあけて、乱暴にかき乱す侵入者のようなものである。だが、一旦知ってしまったら再び放置することは許されないのではないか。

 誠太郎氏の返答をタチアナさんに伝えるのはつらかったが、彼の言葉をそのまま述べていくしかなかった。タチアナさんはここで初めて、祖父の生年と死亡年を知ることになった。

左よりリュドミラ、タチアナ、エリハム(リュドミラの夫)。1974年左よりリュドミラ、タチアナ、エリハム(リュドミラの夫)。1974年。同書より転載。タチアナ・シーチク提供

一縷の望みにかけたタチアナの思い
ロシアと日本から見放された祖父

 間もなく、結城三好氏の息子のところまでたどり着いたことのお礼と「私たちはユウキミヨシの息子さんの意見を尊重します。75歳という息子さんの年齢を考えると、気持ちは理解できます」という返事が来た。