拒絶の壁は前より厚いと感じざるを得なかった。誠太郎氏の拒絶は、親子の枠を取っ払って、戦争が引き起こした分断をそのまま突きつけていた。

 タチアナさんからの返答。

「彼のお気持ちはよく理解できます。ご子息もすでにお年を召されており、今更家族の中で、あるいは人生で何らかの変化が起こることは受け入れがたいことであろうと存じます。

 人生は単純なものではありません。戦時であればなおさらのことです。私たち家族も、母も、彼の希望を尊重したいと思います。彼にこれ以上のご迷惑をかけるつもりはありません。間もなくクリスマスの祝日が始まります」

 クリスマスの後、タチアナさんと初めてスカイプで話を交わした。リビングにはソ連時代の三好氏の写真が飾られている。通訳を介し、いろいろ語った後「こんなことになるなら調べるのをやめればよかったね」と夫から言われたと、寂しそうに笑った。

 これで調査は打ち切るしかないと、私は誠太郎氏に平穏な後半生の日々に混乱と負担をかけたことへのお詫びと、心の片隅にでもペラゲイアの家族がいることを留めておいてほしいという手紙を出した。