あてずっぽうに車が止まった地点の小路に入り、墓石に刻まれた文字を確認しながら歩き始めて数十秒。「結城家之墓」の文字が目に飛び込んできた。これか。法名碑には、はっきり三好とある。小路に入ってわずか10基目。「やっぱり見つけてもらいたかったんだ!」と斎藤弘美さんが声を上げた。

 法名碑をよく確認すると、潔(編集部注/三好氏の次男・仮名)、三好、邦子(編集部注/三好氏の妻・仮名)の3人の名前が刻まれていた。生後まもなく亡くなった「潔」には「徳潔孩児」とあった。

 何という偶然の働きだろう。最初の小路で車が止まってくれたのが最大の幸運で、もう少し進むと正門があったのだが、ここから入ると見つけることは難しかったかもしれない。

 手を合わせた後、ここから結城誠太郎氏の住まいまではそう遠くないことに気が付く。墓がすぐに見つかったことに推されて、私たちは結城家に向かった。

 これから伺いたいと、ことわりの電話をしようにも、携帯に電話番号は登録されておらず、それを記したメモも持参していなかった。もし、電話をしていたら断られていただろう。