共産中国の台頭を受け入れ
建設的な関係を築こうとする米国知識界

前回コラムでは、米国を代表する政治学者、フランシス・フクヤマ氏が冷戦崩壊期の1989~1992年に発表し、学術界・言論界を震撼させた「歴史終焉論」を、中国改革開放総設計師・鄧小平氏の「社会主義を堅持しつつ改革開放を推進する」という国家戦略と比較しながら検証した。

 当時、フクヤマ氏は「冷戦の崩壊は西側自由民主主義の東側共産社会主義に対する完全勝利を意味している。自由民主主義こそが最高の政治体制であり、社会の最終形態である」と主張し、ソ連の解体に続き、「共産中国の崩壊」を以て同氏の論考は歴史的に証明されるはずであった。

 しかし「共産中国」は現在に至るまで崩壊していない。それどころか、人類社会の進化に欠かせないアクターとして、国際社会はその存在と台頭を受け入れつつある。

「中国の台頭を受け入れつつ、政治体制や価値観の違いを乗り越えて、如何にして中国と建設的なウィン-ウィン関係を築いていくか」という現実的論調が、米国知識界の主流であると前回コラムで述べた。

 フクヤマ氏も同じスタンスに立っている、と私は考える。それを如実に証明するのが、同氏が2011年に『The Origin of Political Order−From Prehuman Times to the French Revolution』(Farrar, Straus and Giroux)を出版し、「中国の政治体制をめぐって古来脈々と流れるエッセンスは何なのか」という命題を、西側における自由民主主義との比較を通じて検証したリアリティーに見いだせる。

 仮に「歴史終焉論」で展開されるように、フクヤマ氏が「共産中国の崩壊」を前提に冷戦後の世界を観察してきたとしたら、同書のタイトルにある如く、「政治秩序の起源」を模索するような学術努力は払わないであろう。