私が、思い浮かべるのは、伝説的なF1ドライバーであるミハエル・シューマッハです。私がCEOを務めていたときにブリヂストンはF1から撤退したのですが、私自身は大のF1ファン。なかでも、シューマッハのドライビング・テクニックには惚れ込んでいました。
そして、これを役得というのでしょうが、ブリヂストン・ヨーロッパのCEOだった頃、何度かシューマッハとともに時間を過ごす機会がありました。その姿を見て、ひとりの人間として背筋を正される思いがしました。彼がもしも会社をつくったら、非常に優れた経営者になったに違いないと確信したものです。
「激論」を交わしながら、
高度な「チームワーク」を発揮する
彼は、非常に立派な人物でした。
明らかにマシンの不具合によって負けたときも、彼は一度もマシンのせいにしようとはしませんでした。
そして、最高のレースをして勝利を収めたあとには、他のレーサーがレース場を去ったあともひとり残って、マシンについて100%納得できるまで技術スタッフと議論を重ねるとともに、レースでボロボロになったタイヤの状態を黙々とチェックし続けていました。
彼は、自分が思い描く「理想のドライビング」を実現するために、できうる限りの努力を怠りませんでした。そして、うまくいったときにはスタッフに感謝をし、うまくいかなかったときには、「誰か」のせいにするのではなく、常に「自分の問題」として改善を続けるような人物だったのです。
しかも、彼は常に仲間に対する敬意を忘れない人物でもありました。
いや、もっと正確に表現すれば、彼は「プロフェッショナリズム」に対して非常に強い敬意を払っていました。
おそらく、彼自身がドライビング・テクニックにおいて、プロフェッショナリズムを極め尽くしていたからでしょう。彼が「プロ」と認めた相手であれば、その人物が真っ向から対立する意見を述べても、その意見を尊重して受け止めたうえで、対話を続けながらお互いが納得しあえる「最適解」を追求しました。
そのような姿勢を貫いていたからこそ、彼が追い求める「理想のドライビング」にみんなが共感を寄せ、ときに激論を交わしながらも、きわめて高いモチベーションでチームワークを発揮していたのです。
「プロフェッショナリズム」を軸に人材を束ねる
これこそマネジメントの理想型ではないでしょうか?
最大のポイントは、シューマッハが思い描く「理想のドライビング(=あるべき姿)」に、チームメンバー全員が強く共感していたことだと思います。
そして、シューマッハの「理想」が共感を集めた理由は、それがそもそも魅力的だったこともありますが、それ以上に、「うまくいかなかったときにも、”誰か”のせいにするのではなく、常に”自分の問題”として改善を続ける」とか、「メンバーに対する敬意を忘れず、お互いに納得しあえる”最適解”をとことん追求する」といった姿勢にメンバーが共感していたからだと思います。私の目には、これらがシューマッハの「胆力」を支えていたように見えるのです。
中には、「強いリーダー」になるために、メンバーに対して「自分の優位性」を証明しようとする人がいますが、そんなことをしてもメンバーの気持ちが離れていくだけです。それよりも、シューマッハのように、メンバーに対する「敬意」を持ち、「謙虚」な姿勢で「理想」を追求するからこそ、真に「強いリーダー」になることができると思うのです。
さらに注目したいのは、「プロフェッショナリズム」の重要性です。
シューマッハは、自分自身がドライビングというプロフェッショナリズムを極めていたからこそ、メンバーそれぞれの専門領域におけるプロフェッショナリズムに深い敬意を払っていたのだと思います。
一方、それぞれに尖った能力をもつチームメンバーたちが、シューマッハに対して深い敬意をもったのは、彼が卓越した実績をもつドライビングのプロだったからにほかなりません。
つまり、「プロフェッショナリズム」というものを軸に、メンバー全員が結束したからこそ、「激論を交わしながらも、きわめて高いモチベーションを発揮する」という高度なマネジメントが実現したように思うのです。
「中途半端なジェネラリスト」は通用しない
もしも、そうだとするならば、企業において「戦闘力の高い欧米型人材」を育成して、そのメンバーを束ねるマネジメントを行うためには、なんらかの領域で「プロフェッショナリズム」を極めた人物でなければ経営者となることはできないのかもしれません。
もちろん、一芸に秀でたプロであるだけではなく、組織全般を広く見渡すことのできる「ジェネラリスト」の要素も兼ね備える必要はあります。しかし、シューマッハのように、「理想のドライビング」というビジョンを真剣に追求すれば、自然とレーシングチーム全体をいかにマネジメントすべきかという視点は自然と養われるはずです。
むしろ、尖ったプロフェッショナリズムをもたない、今までありがちだった「中途半端なジェネラリスト」では、「戦闘力の高い欧米型人材」をまとめることはできない可能性のほうが高いでしょう。
あるいは、これからの企業は、一芸に秀でた「プロフェッショナル」を、「本物のジェネラリスト」に育て上げる経路を築き上げる必要があるのかもしれません。そのような組織的なチャレンジは、極めて有意義なものではないかと、私は考えています。
(この記事は、『臆病な経営者こそ「最強」である。』の一部を抜粋・編集したものです)
株式会社ブリヂストン元CEO
1944年山形県生まれ。東京外国語大学外国語学部インドシナ語学科卒業後、ブリヂストンタイヤ(のちにブリヂストン)入社。タイ、中近東、中国、ヨーロッパなどでキャリアを積むほか、アメリカの国民的企業だったファイアストン買収(当時、日本企業最大の海外企業買収)時には、社長参謀として実務を取り仕切るなど、海外事業に多大な貢献をする。タイ現地法人CEOとしては、同国内トップシェアを確立するとともに東南アジアにおける一大拠点に仕立て上げたほか、ヨーロッパ現地法人CEOとしては、就任時に非常に厳しい経営状況にあった欧州事業の立て直しを成功させる。その後、本社副社長などを経て、同社がフランスのミシュランを抜いて世界トップシェア企業の地位を奪還した翌年、2006年に本社CEOに就任。「名実ともに世界ナンバーワン企業としての基盤を築く」を旗印に、世界約14万人の従業員を率いる。2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災などの危機をくぐりぬけながら、創業以来最大規模の組織改革を敢行したほか、独自のグローバル・マネジメント・システムも導入。また、世界中の工場の統廃合・新設を急ピッチで進めるとともに、基礎研究に多大な投資をすることで長期的な企業戦略も明確化するなど、一部メディアから「超強気の経営」と称せられるアグレッシブな経営を展開。その結果、ROA6%という当初目標を達成する。2012年3月に会長就任。2013年3月に相談役に退いた。キリンホールディングス株式会社社外取締役、株式会社日本経済新聞社社外監査役などを歴任・著書に『優れたリーダーはみな小心者である。』『参謀の思考法』(ともにダイヤモンド社)がある。(写真撮影 榊智朗)