リア友とネッ友(ネット上での友人)の境界線が曖昧になっている昨今、トラブルやリスクを避けつつ、バランスの取れた利用が求められている。とはいえネット上での付き合いでは些細なことで行き違いが起こりやすく、親密だと思っていた関係が一気に崩壊することも。ネッ友が当たり前となった若者たちのSNSでの作法とは?※本稿は、物江 潤『デジタル教育という幻想 GIGAスクール構想の過ち』(平凡社)の一部を抜粋・編集したものです。
ネットでは特殊が普通になる
「フィルターバブル」問題
有名な政治家のSNSを確認してみれば、熱烈な支持者たちが集っており、これでもかと賞賛の書き込みが積み重なっています。ある1人の政治家を熱狂的に支持する人々の国民に対する割合は、間違いなく非常に小さいのですが、そんな当たり前にすぎる事実を忘れてしまいそうです。
たとえ、その政治家のSNSに集まる人々が、ネットユーザー全体の1%にも満たない人数だとしても、膨大な数のネットユーザーが分母であるため大人数に見えてしまい、集まっている人たちは、自分たちがマイノリティーであることに気付きにくいのです。
「特殊が普通になる」と言ってもよいと思います。そしてそんな特殊な普通を、ネットの外の社会にも適用すると、しばしば厄介なことが起きてしまうわけです。
政治に関する情報だけでなく、同様の考えを持ったユーザーたちとSNS上で繋がれば、類似した書き込みや自説を補強する情報を繰り返し目の当たりにします。
アルゴリズムが働き、ユーザーが気に入る情報が優先的に表示されるようにもなりますので、まるで閉鎖的な情報空間に閉じ込められたかのようでもあります。
あるフィルターを通過した情報がこだまする空間をバブルと見立て、昨今では「フィルターバブル」と名付けられ問題視されています。