もちろん、その欲求がゲームのなかだけに留まっているのなら、なにも問題はありません。しかし、それがエスカレートし、現実の世界でも同じような欲求を抱いてしまったら、これは大問題です。他者が苦しむことに快感を得てしまうのだから、そうした人は、暴力を振るったり、いじめを働いたりするかもしれません。

 私は、暴力的なゲームが必ず人間を暴力的にする、と言いたいわけではありません。そうではなく、現実の世界ではとても許されないような暴力への欲求が―すなわち他者の苦しみへの欲求が、ゲームの世界には存在する、ということを、ここで考えてみたいのです。

 もっとも、すべての人にそうした欲求があるとは思えません。世の中には、魔王の「ぐおおおおおお」にすら耐えられない人もいるでしょう。ただ、これだけ暴力的なゲームが世の中に流通していることを考えれば、かなり多くの人の心のなかに他者の苦痛への欲求があると考えても、不思議ではないのではないでしょうか。

なぜ人は不要な「悪意」を
抱いてしまうのか?

 魔王の「ぐおおおおおお」への欲求は、エゴイズムではうまく説明できません。なぜなら、魔王が悶絶すること自体は「私」に対して何も利益をもたらさないからです。