そのゲームのなかでは、魔王が悶絶して死んでも、安らかに死んでも、結果は同じです。悶絶を求める人は、自分の利益を求めているのではなく、あくまでも他者の苦しみを求めているのです。

 ではこの欲求をどのように説明したらよいのでしょうか。こうした問題を考えるのに有効な手がかりを示しているのが、近代ドイツの哲学者、ショーペンハウアーです。彼は、私たちが魔王に対して抱くような衝動を「悪意」と呼び、エゴイズムから区別したのです。

 ショーペンハウアーの定義によれば、エゴイズムが自己の快楽を求めることであるのに対して、悪意は他者の苦痛を求めることです。何の利益にもならないにもかかわらず、人間が他者を苦しめたいと思うのは、悪意の衝動に駆られているからです。そしてそれはエゴイズムとは本来関係のない概念である、と彼は考えます。

 近世イギリスの哲学者であるトマス・ホッブズと同様に、ショーペンハウアーもまた、あらゆる生物がエゴイズムを持つと考えました。エゴイズムは、私たちが生きるためには仕方のないものです。ところが悪意は、少なくとも生きる上ではまったく必要のないものです。