「退場!」――球審が人差し指を立てて腕を振るう勇姿は、プロ野球の“華”のひとつと言えよう。西武ライオンズで日本一6回の大監督・森祇晶でさえ、抗議からの退場処分に抗うことはできないのだ。また、ベースを引っこ抜いて投げ捨てるパフォーマンスで沸かせた、退場の“常連”監督もいた。ドタバタ退場劇の舞台裏を、元審判員がホンネで語る。本稿は、井野 修『プロ野球は、審判が9割 マスク越しに見た伝説の攻防』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
日本一6回の大監督・森祇晶が
プロ35年目にして初の退場劇
森祇晶監督は、1986年からパ・リーグで西武監督を務め、9年間で8度のリーグ優勝、しかも日本一6度という球史に残る大監督です。セ・リーグの横浜では2001年3位、2002年最下位でした。
2001年8月16日のヤクルト-横浜戦(神宮球場)。延長12回表0対0。佐伯貴弘選手の打球をレフトのアレックス・ラミレス選手が前進、また前進して捕球。二塁塁審のジャッジは「ダイレクトキャッチ」でアウトでした。
「ヒットじゃないかよ!」。怒った佐伯選手は、神宮球場のレフト側の通路から、一度グラウンドをあとにしてしまいました。森監督が三塁側ダグアウトから出てきて言いました。
「ボールを見せろ。人工芝の緑色が付いているじゃないか」
「いつ付いた色かはっきりしません」
試合は28分中断。審判員のクルーにおける責任審判の私は言いました。
「監督、もう『捕った、捕らない』と、お互いの水かけ論です。お客さんをこれ以上待たせるわけにいきません。これ以上抗議を続けるのでしたら退場になりますよ」(編集部注/「遅延行為」の理由による退場処分における現在の目安は5分間)
「退場にできるものならしてみなさいよ」
そう言って、森監督は選手をダグアウトに引き揚げさせたのです。