余命宣告された写真家の幡野広志氏が、2歳の息子に生と死についての考え方を伝える。幡野氏は、ガン患者になってから、かつて出会った自殺志願者の気持ちがわかるようになったという。余命宣告を受けた幡野氏が今伝えたい、生きることと死ぬことへの向き合い方とは。本稿は、幡野広志『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)の一部を抜粋・編集したものです。
ガン患者はガン細胞と
闘うだけじゃなかった
腫瘍が見つかった2017年11月、僕は自殺を考えた。
眠ること、横たわること、足を上げること。これまで当たり前にできていたことがまるでできなくなるほどの激痛。急激に年老いたように、体が自分のものではなくなっていた。
12月の終わりにブログでガンを公表してからは、「優しい虐待」に悩まされた。
代替医療という名のインチキ療法、食事療法、宗教の勧誘。
「『この壺を買えばガンが治る』というメッセージがきたときは、腹の筋肉がシックスパックになるぐらい笑わせてもらった」と書いた。
これは強がりでも冗談でもなく本当のことだけれど、「子どもと奥さんのために、この治療法を試してみて。大丈夫、絶対に治るから」というどう考えてもインチキな療法に、心が揺れたのも本当だ。僕の心の弱いところに、するっと入り込んでくる優しい虐待に、まんまとやられそうになった。
何年も連絡をとっていなかった知人からのお見舞い電話には、安易な励ましと、その人の身の上話がもれなくセットでついていた。
何事も経験しないとわからないと思う僕だが、ガン患者はガン以外で苦しめられるという事実をガン患者になって知った。
闘病なんて言葉があるけど、ガンはガン細胞と闘うだけじゃない。
味方であってほしいはずの友人や親族、足並みを揃えるべき家族や医療従事者とすら場合によっては闘わなくてはいけないのだ。
日本人の2人に1人がガンに罹るのだから、健康なもう1人は看病をしなければならない。つまり、日本人でガンにかかわらずに生きていくことは困難で、よっぽど運がいい人か孤独で健康な人だ。
それなのに多くの人はガン患者にどう接していいかわからないし、自分がガンになったときどうしたらいいかもわからない。
息子はすでに、父のガンに接しているわけだけれど、僕が死んだあとも、ガン患者に接する機会があるだろう。
そんなときは、この記事を読んでどう接すればいいか考えるヒントにしてほしい。
「人はなぜ自殺するのか?」
青木ヶ原の樹海に通い始めた
放射線治療で入院して、劇的に足は回復した。本来ならそのまま抗ガン剤治療に入るところだが、僕はいろいろな人に取材をすることにした。