どう死ぬか考えるよりも
どう生きるかが大切だ
それはベトナムに旅したときに感じたものと同じだった。
ベトナムは伸び盛りの成長途上国と言われるが、まだ貧しい国だ。一般的な工場で働いている人の月給が300ドルで、収入が低い人だと150ドル。僕がお願いした通訳者は、給料が400ドルくらいだと言っていた。
それでもみんなしっかりと、当たり前のようにあかるく生きている。深い話をしたわけではないけれど、日本より圧倒的に楽しそうだし、優しい。
カメラを向け、たくさんの笑顔を撮っていたら、ふと思った。
「ガンになっても別にいいかな。人間っていずれ死ぬしな」
温かくて湿った空気の中で、「どう死ぬかよりも、どう生きるかっていうほうが大切だ」なんていうことを、素直に思わせてくれる旅だった。
子どもを理屈抜きに丸ごとかわいがるのに、僕たちは身構えすぎているのかもしれない。ベトナムに行ってそう思った。ベトナムだけじゃなく、たとえばブラジル人がいちばん大切なものは「ファミリア」、つまり家族だ。
もしも自分の子どもがいじめられたら、お父さん、お母さん、お姉ちゃん、お兄ちゃん、おじさん、おばさん、ファミリア総出で問題の解決をするという。旅行も食事会もパーティーも、単位は家族で絶対に一緒だ。
いっぽう日本の僕たちは、いろいろなことを考えすぎて、いつの間にか単位を自分1人にしてしまった。孤独は必要で大切なものだけれど、親となったのなら理屈抜きに、家族を大切にするほうがいい。
学校なんか信用しなくていいし、嫌な友だちとはつきあわないほうがいい。勉強ができなくても、好き嫌いがあっても、子どもが死ぬよりはるかにいい。
「子育てって何だろう」ということを、僕はつねづね考えているけれど、最大の目的は子どもが死なないようにすることだ。
今日も息子は死なずに生きていて、僕はそれを写真に撮ることができる。
息子の命のあかるさが、僕の命をあかるくしている。