この研究では、死亡率が非常に高かったときでも、女性は男性よりも平均して長生きしたことがわかりました。図5‐2を見てください。トリニダード・トバゴ以外は、女性の生存率の方が高いことがわかります。
この研究では、生存率に男女差が生まれた要因のひとつとして、乳幼児の死亡率の違いを挙げています。過酷な状況下では、女の子の乳幼児の方が男の子の乳幼児よりも、より生き残りやすいのではないかということです。

拡大画像表示
*1 1820年アメリカで制定されたミズーリ協定(奴隷制に関する取り決め)の影響で、アフリカから連れてこられた奴隷の一部がアフリカへ戻り、1847年にアフリカ最初の独立国家としてリベリアを建国した。しかし、建国に至るまでの過酷な船旅、食糧不足や疫病の流行などにより、人類史上最悪といわれる高死亡率状態が1820-1843年まで続いた。1820年におけるリベリアの死亡率は約43%であった。
*2 植民地としてスペイン、フランス、イギリスなどの支配下に長くあった。プランテーションにアフリカからの黒人奴隷が導入され、イギリスの支配下であった1813-1816年の黒人奴隷の年齢や死亡率などについて詳細な記録が残されている。
*3 1932‐1933年にかけて、ウクライナでは「ホロドモール」(ウクライナ語で「ホロド」は飢饉、「モール」は疫病や絶滅を意味する)とよばれる歴史的大飢饉が起きた。ソ連のスターリン政権による計画的な飢餓、あるいは不作為による人為的な要因による飢餓の可能性が指摘されている。

*4 1772‐1773年に異常気象などによる作物の不作により、スウェーデンで大規模な飢饉が起きた。さらに赤痢が蔓延し死亡率が上昇した。
*5 アイスランドでは1846年と1882年に、麻しん(はしか)の大流行により多数の死者が出た。
*6 イギリスの植民地支配を受けていたアイルランドにおいて、貧農階級の主食であったジャガイモの疫病が流行し大凶作となり、1845-1849年に飢饉となった。この飢饉により、アイルランドの人口は激減した。