「わからない」
問題となる文章において、船長の年齢に関する記述は一切出てきません。解くことは不可能です。そのため、「わからない」「正解を導くのに十分な情報がない」が、論理的に正しい解答です。
「答えのない問題」に答えを出す人たち
じつは、まったく同じ問題が1979年にフランスの研究者によって、当時の小学校1年生・2年生に対して出題されていました。
正解はもちろん「十分な情報がない」「わからない」ですが、なんと75%以上の生徒が「26 + 10 = 36歳」と答えました。数字を使って、「それらしい正解」を作り上げて答えるという行動をとったのです。
さらに歴史をさかのぼると、『ボヴァリー夫人』で有名な小説家ギュスターヴ・フロベールが1841年に妹キャロラインに送った手紙の内容に、その原型を見出せます。
この問題を実際に学生に出題したところ、
125 + 5 = 130歳←年寄りすぎる
125 - 5 = 120歳←年寄りすぎる
125 ÷ 5 = 25歳←まあ妥当だろう
という理屈から、ほとんどの生徒が「羊飼いは25歳」と答えてしまったそうです。フランス・ドイツ・スイスの生徒においても同様でした。
なぜ、このような「明らかに解けない問題」が出題されたのでしょう。記事冒頭の問題を出した順慶教育局によるコメントは以下の通りです。
多くの生徒が無意味な問題を「解決」しようとしたのは、きっとこう考えたからでしょう。
「これは算数の問題なのだから、かならず答えがあるはずだ」
「ならば、問題文の要素を使えば正解が導けるはずだ」
実際、ほとんどの試験において、それは正しい理屈です。
しかし、この世のすべての問題において、かならずしも答えが用意されているとは限りません。不条理な問題が出てきたとき、「答えられない」が正解になることもあります。これらの「答えのない問題」は、その現実を教えるために出題されたのです。
「あきらめる」よりも、やってはいけないこと
学校を卒業して、大きな世界で生きていくなかで、誰もが数えきれないほどの問題に行く手を阻まれます。そんなとき、多くの人は「この問題にはきっと解決法がある」「それを探さねばならない」「見つけられなかったら、自分が悪いのだ」と考えてしまいます。
たしかに、目の前の問題をすぐに投げ出していては、以前の私のように逃げてばかりの人生になってしまいます。すぐにあきらめるのではなく、じっくり考え、取り組む力は大切です。
ですが「考えるのをあきらめる」以上に、やってはならないことがあります。
「無理やり答えを出す」ことです。
テストなら減点になるだけで済みますが、現実の問題に無理やり答えを出してしまうと、取り返しのつかない結果になることもあります。
じっくり考えた結果、「わからない」のであれば、それが論理的な答えです。論理的に導き出された答えを、「そんなはずはない」「答えはあるはずだ」と、非論理的に上書きしてはいけません。
「わからない」と答える勇気を持とう
思考を尽くしても答えがわからなかったとき、それは考えることをあきらめたのではなく、「わからない」という答えを出したということです。
その答えを認める勇気を持つことも、不確実性の高い現代を生きるうえで重要なことだと、私は思います。
先ほどの「船長の年齢は?」問題は、「わからない」と答えることの難しさを教えてくれました。
そして、この複雑で厳しい世界を生き抜くために最も重要なものの存在を、私たち大人にも教えてくれるのです。
あらゆる思い込みや常識の罠から抜け出し、問題を適切に分析して最適解に辿り着くための思考方法。
「論理」という大きな武器の存在を。
(本稿は、『頭のいい人だけが解ける論理的思考問題』から一部抜粋した内容です。)