「仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」――経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
なぜ天下人は晩年に失敗した?
豊臣秀吉の揺れる後継者問題
豊臣家最大の危機
後継者・秀次と実子・秀頼が迎えた“運命の結末”
豊臣秀吉は62歳で亡くなりましたが、晩年の57歳のときに子、豊臣秀頼(1593~1615年)を授かります。
母親は秀吉の側室・淀殿(1569~1615年)。織田信長の妹・お市の方(1547~83年)の娘で、信長の姪です。つまり、秀頼は、豊臣家と織田家の両方の血筋を引いた子なのです。
長年子宝に恵まれなかった秀吉は、自分の子がいないことを前提とした後継体制をつくり始めていました。具体的には甥(姉の子)である豊臣秀次(1568~95年)を自分の後任「関白」の地位に就かせて、豊臣政権の後継者として世間に示したのです。そして、秀次を補佐する大名をつけて、徐々に秀次への継承を進めました。
天下人の残酷すぎる晩年
豊臣秀次と家族がたどった悲劇の最期
ところが、秀頼が生まれてからというもの、秀吉の態度は一変します。秀吉と秀次の関係が悪化していき、最後は秀吉への謀反の疑いで秀次は切腹させられます。
また、秀次の妻や幼い子たちも京都の三条河原で処刑されました。罪のない女性や幼い子まで処刑した残酷さは、秀吉晩年の最大の汚点の1つといえます。
切腹した秀次は、秀吉と徳川家康が戦った小牧・長久手の戦いで敗北したり、関白になってから乱暴な振る舞いが多かったりして、低い評価を与えられることが多い人物です。
豊臣秀吉の溺愛がもたらした悲劇
秀次粛清と政権崩壊
もっとも、こうした低い評価は、秀次の切腹を正当化するためにつくられた可能性があるとされ、実際の秀次は文武両道に優れ、善政を行っていたという記録も残っています。
秀吉は高齢になってから生まれた秀頼がかわいいあまり、まだ幼児なのにもかかわらず、天下を譲りたくなった。これが秀吉と秀次の関係悪化、切腹の最大の原因だと考えられます。
この後、秀頼が6歳のときに秀吉は死去し、8歳のときには関ヶ原の戦いが起こり、徳川家康が勝利した結果、権力は実質的に豊臣家から徳川家に移りました。
もし豊臣秀次が切腹しなかったら…
豊臣政権が続いた“もう1つの未来”
当然ですが、幼い秀頼は、なんら主体的に動けずじまいです。歴史に「もし」は禁物ですが、もし秀次が切腹することなく、秀吉の死後も政権の中心にいたら、徳川家康に権力が移ることはなく、大坂を中心とした豊臣政権は続いていたかもしれません。
後継者の資質が不足しているときの対処法現代でも世襲で経営を受け継ぐことは、珍しくはありません。
同族企業の社長だけでなく、政治家や病院の院長・理事長など、世襲の例は枚挙に暇がありません。もちろん、世襲は悪いことばかりではありません。親族だからこそ代々引き継がれてきた考え方や責任感もあります。
世襲の落とし穴
豊臣家を滅ぼした“後継者問題”と秀吉の誤算
世襲するのが、最適解のケースだってあるのです。しかし、それは後継者が、その地位に対して適切な資質をもっていることが大前提です。経験や能力など資質不足の人物が後継者になっても、職責を果たすことは難しいのです。
秀吉も生まれたばかりで幼い秀頼が、天下を治める豊臣政権を継承できるのかどうか、冷静に考えるべきでした。
その点は、的確な判断力で天下人となった、かつての秀吉の面影が感じられず、本当に残念です。秀次を切腹させたことが豊臣政権の終焉、そして豊臣氏滅亡に向けた扉を開けてしまったといえます。
同族経営の危機回避術
“親族ではない社長”が企業を守る理由
私がコンサルティングをした年商300億円規模の同族企業では、親族で切れ目なく承継するのではなく、子が継ぐ前に、必ず創業家出身ではない人を社長にあてていました。
切れ目なく同族で承継すると、子が若すぎる場合があるため、経験を積むまで信頼できる人が社長を務めるという仕組みです。また、同族の子が、親族ではない社長のもとで、甘やかされずに経験を積めることも期待できます。
このような工夫も、とくに中堅・中小企業を存続させる1つの知恵だと感じます。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。