萩原健一と水谷豊が主演を務めた、ドラマ『傷だらけの天使』。放送から半世紀経った今でも愛されている作品だが、当時は廃材でセットを作るなど打ち切り寸前だったようだ。そのような窮地を演者とスタッフたちは、どのように乗り越えていったのだろうか。※本稿は、山本俊輔、佐藤洋笑『永遠なる「傷だらけの天使」』(集英社新書)の一部を抜粋・編集したものです。
廃材を使ってセットを組んだり
ロケ先ありきで脚本を執筆
制作予算の逼迫と低迷する視聴率によって、いつ放送打ち切りになってもおかしくない状況を迎えて、番組カラーを路線変更せざるを得なくなった『傷だらけの天使』。ここがプロデューサーたちの踏ん張りどころだった。
「まず脚本に関しては、セックスや暴力を減らして、もっと心情的な部分を入れて共感を得られる青春ドラマを作っていこうとなりました」(工藤英博※編集部注:元「傷だらけの天使」プロデューサー)
さらに予算面を考慮して、諸々にかけられるお金の額から逆算をして脚本を作るという方法が採用される。
遠方でのロケーション設定は、あらかじめタイアップ交渉をして、ホテルの宿泊と現地協力を決めてから脚本の執筆依頼をした。ほかの番組のレギュラーセットの空きを調整して使用許諾を取り、脚本家に場面設定を指定した。イメージに合うセットがないときは、廃材を利用してセットを組んだりした。(磯野理『東宝見聞録』アスペクト、2011年)
「それからシリーズ後半の監督は、鈴木英夫さんとか児玉進さんとか、東宝所属のオーソドックスに撮ってくれる監督さんたちにも頼みました。結果的に工藤栄一さんの本数が多かったですが、まあまあですよね」(工藤英博)
工藤栄一がシリーズ中もっとも多くの6本を監督した理由には、こんな笑えるものもあった。
番組制作費だけじゃなくて、工藤監督も個人的に当時、金銭面で逼迫していたそうです。酔っ払って喧嘩して、歯を何本も折られたから、治療費が必要だった(笑)。それでプロデューサーに頼んで、作品数を増やしてもらったとか。(『週刊現代』2012年4月21日号、「週現『熱討スタジアム』」赤坂英一の証言)