「自分は何も持っていない」「いつも他人を妬んでしまう」「毎日がつまらない」――誰しも一度は感じたことのある、やり場のない鬱屈した思い。そんな感情に寄り添ってくれるのが、イラストエッセイ『ぼくにはなにもない 愛蔵版』。小説家だけではなく、大人気ゲーム実況グループ「三人称」の鉄塔としても活躍する賽助氏も本書の読者だ。この記事では本の感想も交えながら、賽助氏が考える「心の持ち方や生き方」について語ってもらった。(構成/ダイヤモンド社・林拓馬)
「悩みごと」にはどう向き合うべきか
「悩み事ってどうやって解決しているのか?」についてお話しします。
正直、僕の場合は、結局悩んでも解決しないことが多いんですよね。
悩みっぱなし、というか。「悩んでいても仕方ないな」と思って、とりあえず試してみるか、逆に「やっぱり違うな」と思ってやらずに放置するか。
そんな感じでやり過ごしていることが多いです。
たとえば、「この仕事を受けたほうがいいのかな、どうしようかな」って悩むときがありますよね。
そういうとき、「やったあとの結果に後悔する」場合もあれば、「やらないでずっと引きずる」場合もあります。
僕は、結構「やらないで引きずるタイプ」なんです。
「ああ、やっぱりやっておけばよかったかな」なんて後悔することもよくあります。最近も一つ、今までとは全く別分野からの仕事の依頼があったのですが、悩んだ挙句に辞退して、結局後で「やってみたらよかったかなぁ……」なんて後悔しています。
そうやって毎回悩みながらも、何かしら自分なりに結論を出して「やるか・やらないか」を決めています。
だから、「うまく解決している」とは言えないけど、悩みとどう向き合うかを模索しながら進んでいる感じです。
僕には、ひとつ昔からの持論があって、「悩みを相談するって、実は自分の中でなんとなく答えが出ている場合が多いんじゃないか?」と思っているんです。
たとえば、誰かに「相談があるんだけど」って持ちかけるときって、多くの場合、実はその人の心の中では「こうしたいな」っていう答えがぼんやりあることが多いと感じています。
相手に相談することで、後押ししてもらいたかったり、念押ししてほしかったりするだけなんです。
少しひねくれた考え方かもしれませんけど、「悩んでいる」っていう時点で、実は心の中にはある程度その人の「方向性」があると思うんです。
あとは、それを実際に選んで行動に移すかどうか、ですよね。
もちろん、その方向が正しいのか間違っているのかは、やってみないとわかりません。
でも、「自分の中にある程度答えがあるなら、それに従って進めばどうにかなるんじゃないかな」と思っています。
だから、僕の場合は悩みながらも、「なんとなくこうしたほうがいい気がする」っていう自分の感覚を大事にして、それを信じてやってみることが多いです。
うまくいくかどうかは別として、自分の感覚に従って動くことで、少し気が楽になるんですよね。
結局は、その「なんとなくの答え」を信じて進めるかどうかがポイントなんじゃないかな、なんて思っています。
(本記事は『ぼくにはなにもない 愛蔵版』の感想をふまえた賽助氏へのインタビューをもとに作成しています)
作家。埼玉県さいたま市育ち。大学にて演劇を専攻。ゲーム実況グループ「三人称」のひとり、「鉄塔」名義でも活動中。著書に『はるなつふゆと七福神』『君と夏が、鉄塔の上』(以上、ディスカヴァー・トゥエンティワン)『今日もぼっちです。』『今日もぼっちです。2』(以上、ホーム社)、『手持ちのカードで、(なんとか)生きてます。』(河出書房新社)がある。