「豊臣兄弟!」第22回より (C)NHK
歴史はエンターテインメント!かしまし歴史チャンネルへようこそ。『豊臣兄弟!』第22回のタイトルは「播磨大誤算」。信長から播磨攻略を命じられた秀吉(演:池松壮亮)は、わずか数カ月で播磨を平定しますが、このとき秀吉は、降伏した上月城の兵を処刑しただけでなく、城内にいた女子どもまで串刺し、磔(はりつけ)にしたと伝えられています。その後、竹中半兵衛(演:菅田将暉)の悪い予感が的中。服属したはずの国衆たちが反旗を翻し、さらに毛利・宇喜多も挙兵して、播磨の支配体制は大きく揺らぎ始めます。秀吉はなぜここまで残酷な行いをしたのか?中国地方の覇権を巡る織田氏と毛利氏の争い、そして上月城の悲劇について解説します。(かしまし歴史チャンネル/川合章子)
播磨平定と、秀吉が行った苛烈な「見せしめ」
天正5年(1577)、織田信長から播磨攻略を命じられた羽柴秀吉は、別所長治や黒田官兵衛ら播磨の有力者を味方につけ、わずか数カ月で播磨の大半を平定しました。
しかし、すべての勢力が織田方に従ったわけではありません。その代表が、播磨西部の上月城でした。
上月城には毛利方の勢力が立てこもっていましたが、尼子氏再興を目指す山中幸盛(山中鹿介)らの活躍によって落城します。こうして播磨平定はほぼ完了したかに見えました。
ところが秀吉は、降伏した上月城の兵を処刑しただけでなく、城内にいた女子どもまでも串刺しにして殺し、磔にして晒したと伝えられているのです。
この話は後世の創作ではありません。人数などの詳細には諸説あるものの、秀吉自身の書状にその旨が記されており、見せしめの処刑が行われたこと自体は、事実と考えられています。
なぜ、女子どもまで処刑したのか
なぜ秀吉は、そこまで苛烈な手段を取ったのでしょうか。
当時の播磨では、多くの国衆たちが織田と毛利の間で態度を決めかねていました。表向きは織田方についていても、情勢次第では毛利方へ寝返る可能性も、十分考えられる状況でした。
秀吉は、こうした状況をよく理解していました。そのため、織田に抵抗した上月城の人々を厳しく処罰することで、「織田に逆らえばこうなる」という恐怖を周囲に植え付けようとしたのでしょう。
こうした手法は戦国時代には珍しくありませんが、この播磨攻略においては、結果的に裏目に出ることになります。
「豊臣兄弟!」22話より。羽柴秀吉(演:池松壮亮)は播磨を平定するが…… (C)NHK







