カラッとしていて推進力の核となれる
福沢諭吉こそが、理想の上司!?
齋藤:『学問のすすめ』で福沢諭吉が目標として掲げているのは、プロジェクトリーダーになれる人のような気がするんですよね。プロジェクトに集まるだけなら別に社外の人を呼んでもいいわけで、そこは差し替えできても、プロジェクトを立ち上げて遂行していく核となる人は必ず1人必要です。そう捉え直すと、大掛かりなものだけをプロジェクトと考えないで、身の回りの小さなことからプロジェクトと呼んでみるというのも一案じゃないかなと思うんですね。
鈴木:その考え方は素晴らしいですね。普段の作業を1つ1つプロジェクトとして命名すれば、仕事が格段にスムーズになるはずです。
齋藤:たとえば、非常に困ったクレームがきたとしましょう。そんなとき、ただ悶々と悩んだり、問題を棚上げしたりするのではなく、そのクレームを解決するプロジェクトを立ち上げるんです。さっと人を集めてパパッと会議をして、終わったらすぐに散る。たぶんその風景を福沢諭吉が見たら、『学問のすすめ』でこれから必要となると言いたかったのは、こういう働き方ができる人だったんだよ、と言うと思うんですよ。つまり、「推進力の柱になるような人」です。
鈴木:確かに当たり前のことを当たり前に動かせる、しかも悩まずに、というところが肝ですね。無意味な悩みって仕事をしているとたくさん起こってきますが、それは脇に置いておいて、カラッと仕事が進められる人というのが福沢だと思いますし、彼が考える転換期を乗り越えられる人間像だと思います。
「悩むぐらいなら勉強しろ」と齋藤先生もよくおっしゃいますが、『学問のすすめ』で言っているのも、まさに「悩むよりも先に進んでしまえ」ということ。人間関係の小さなことで悩むより、実はさらに仕事ができるようになるほうがプラスになるという考え方ですよね。それができないから、直属の上司に嫌われてしまうと終わりだと思うようになる。
齋藤:福沢のなかでは、先ほど(前編)で鈴木さんがおっしゃった「外向きにオープンになる」ということと、メンタルのケアというのは、たぶんつながっていると思うんです。外に開いていき、それを面白いと思うことで推進力が生まれて突っ走る。その途中で、「今の自分って何だっけ?」というような無駄なことは一切考えない。福沢諭吉という人は感情的には豊かだし、家族も大事にするけれど、必要以上に悩まないんです(笑)。僕はそこがすっきりしていていいなと思うんですよね。
鈴木:悩むことが繊細で高尚である、というのは考え方としては面白いけれど、常に前に進んでいかなければいけないビジネスマンとしては正しくない。そのことを明治時代の初期に、これほどはっきり書ける人は彼のほかにはいなかったと思います。まあ実際、上司が福沢だったら、仕事が進めやすい気がしますね(笑)。
齋藤:確かにいい上司ですよ。気概もあって人情味もある。理想の上司を聞くアンケートで、なぜ福沢諭吉がトップに来ないのか不思議なくらいです(笑)。北里柴三郎が伝染病研究所を作るといったときも、自分の持っている土地を貸そう、と気持ちよく申し出た。新しくて日本に必要なものだったら、自分のものを迷いなく差し出せるという器の大きさがありました。そういう上司がいたら、若い人がチャレンジすることを恐れなくなると思いますね。
鈴木:チャレンジを恐れない部下を育てられれば、組織の可能性が確実に増えますよね。また、福沢のような人が上司であれば、会議でも比較的部下も意見を言いやすい。みんなが颯爽と仕事ができる気がします。
ここ数年特に、トップダウン型の上司は仕事で結果が出せなくなっているように思いますが、それは組織が硬直化してしまうからです。部下を活かしながら、組織体として向上していけるような上司像というものが重要視されてきているように感じます。