これでは、普通の客はいつまでたっても入れない。そういう商売でいいのか、料理屋は「公共」のものという考え方はあかんのか、ということです。
そういう傾向の影響もあるのか、この頃、京都でも若い子がいきなり独立して、いきなり2万5000円とかの値段で商売しようとする。店の規模は、さっき言ったような8席とか10席ですよ。ちょっと受ければ、すぐに満席になる。それはどうなの、ということです。
私らは、最初は1万5000円ぐらいからやれと言うんです。それでお客さんの支持があったら、もうちょっと上げていくのはいい。けれども、いきなり2万5000円というのは、どうなの、と。そういうのは、京都の暮らし、つまりその街の「公共」とかけ離れているのとちゃうか、と。
結局、そういうのが受けるのは、わざわざ新幹線使うてやって来る東京のお客さんと、インバウンドだけ。でも、よその老舗の連中よりも高い値段でやって、東京の人しか来ていないけれど、それでいい、京都の地元の人は相手にしませんというようなスタンスならば、別に京都で商売しなくてもいいんじゃないか、よそでやったら、という話です。
東京で感じる「貧富の差」
昼飯は1000円、京都なら650円
東京でこの頃ひどいなと思うのは、貧富の差が激しい、それも、ものすごく激しいのとちゃうか、ということです。
他の地方はそんなに金持ちもいない代わりに、そんなに貧乏人もいない。しかし、東京でお金がなかったら、ほんまに何もできない。そんな感じがして仕方がありません。
うちの息子、娘の連れ合いで養子ですけれども、もともとが商社マン。それが、係長の辞令をもらった時に退職願を出して「菊乃井」に入ってくれたんです。
その彼が言うには、係長で、まあ、そこそこの給料をもらっていても、いろいろ引かれるとカツカツやというわけです。
たとえば、営業ですと、すぐに電車でどこにでも行けるようなところに住んでいないと仕事にならない。だから、結局、山手線の近くで暮らそうということになる。すると、ワンルームマンションでも家賃に10万円はかかる。水道光熱費を入れると月に13万円ぐらいかかるわけです。