弁当を持って営業には行けません。コンビニ弁当を買うたら、と言っても、ではそれをどこで食べるんや、という現実がある。だから結局、外食せないかん。
外食でも、これが大阪・京都だったらいまでも650円で昼飯が食えるんです。でも、東京はそういうわけにはいかん。昼飯で1000円は見ておかないかん。
晩は、ラーメンが好きだからラーメン食いたい。しかし、毎日ラーメンを食っとったら金が足らんようになる。そういう話です。
そういうのが東京のサラリーマンの普通の生活、現実なんですね。だから、そんな高いところで飯を食うなんていうことは、普通はできない。できるわけがない。でも、一方で、毎日のようにそういうところに行っている「普通ではない」人らもいるわけでしょう。
「普通の人が普通に入れない料理屋」は
やっぱり、どこかおかしい
京都ではそんな人に会うたことがない。
ただ、大阪には「普通ではない人」がいるんです。いわゆる夜の世界で言えば、北新地は高くなってきました。クラブでわかりやすく言うたら、京都の倍の金額が北新地、北新地の倍が銀座、という感じでしょうか。
この現象を、料理人の方から見るとどうなっているのか。とにかく、東京は貧富の差が激しい。普通の人が普通に行けない店がもてはやされるとなると、もう「公共」が壊れているかもしれないな、と思うくらい格差がある。
料理人として朝の早いうちからいろいろなところへ食材を見に行ったり、休みの日もつぶして素材を見に行ったりして、ちょっとでもいいものを仕入れてこようとする。そういう、料理人としてはごくまっとうな努力をする。それはそれでけっこうなことやと思います。
しかし、その努力が、ある一定の、あるいは特定の人達のためだけのものだとしたら、どうなのか。
そんなことのために自分の人生を使うのか。あなたが料理人としてやりたかったのはそれですか、ということを私はいつも思うんです。「予約が取れない店」について、料理人自身が料理人としてどう考えているのかなということです。
「普通の人が普通に入れない料理屋」って、やっぱり、どこかおかしい。