五輪メダリストとなった
6人の卒業生
「かんぜい」高校という。岡山市北区にある男子のみの私立高校だ。スポーツが得意な高校で、卒業生には五輪出場選手を多数、輩出している。一方、経団連会長をした土光敏夫も、この学校から巣立っている。略称は「関西」。
得意な競技は体操だ。五輪出場経験がある有力選手を挙げてみよう。
《森末慎二》 1984年のロサンゼルス五輪に出場し、鉄棒で金メダルを、跳馬で銀を、団体総合で銅を取った。76年関西卒、日本体育大―紀陽銀行と進み、体操部で練習を積み日本代表選手になった。引退後の現在は、テレビタレント、スポーツキャスターとして活躍している。
《水島宏一》 88年のソウル五輪で、団体総合銅メダリスト。84年関西卒、日本大―大和銀行体操部(現コナミスポーツ)と進んだ。東京学芸大准教授の後、2016年に日大文理学部体育学科教授に就き、また同体操競技部の監督に就任した。
《水鳥寿思(ひさし)》 04年のアテネ五輪の団体総合で金メダルを獲得した。両親は元体操競技選手で体操クラブを経営し、実家の隣には水鳥体育館がある。幼稚園の時から体操を始め、99年関西卒で、日体大に進んだ。12年にリオデジャネイロ五輪の男子強化本部長に就任した。24年のパリ五輪では、体操の日本代表チームの監督を務めた。
《沖口誠》 08年北京五輪の団体総合で銀メダル。04年関西卒―日体大。
五輪メダリストは、さらに他種目で2人が出ている。
《平井一正》 76年モントリオール五輪の重量挙げ男子フェザー級(現67㎏級)銅メダリスト。80年のモスクワ五輪にも日本代表に選出されていたが、日本のボイコットにより不参加となった。関西73年卒―中京大。
《清水聡》 12年ロンドン五輪のボクシングバンタム級銅メダリスト。北京五輪フェザー級日本代表。04年関西卒―駒沢大―自衛隊体育学校―ミキハウスと進んだ。16年にプロに転向した。
関西高校OBの五輪メダリストは結局、計6人で、メダルの内訳は金が2、銀が2、銅が4ということになる。
24年夏のパリ五輪では、体操競技選手の岡慎之助が金メダル3、銅メダル1を獲得する大活躍をした。岡は、中学卒業後の19年4月に、いったんは関西高校に入学したが、体操の練習に集中するためにたった1週間で通信制高校に転校した。岡は徳洲会体操クラブに入部し、鍛えられた。