芥川賞作家の赤瀬川原平芥川賞作家の赤瀬川原平 Photo:SANKEI

旭丘高校のルーツの学校で学んだ
小説家の坪内逍遥と二葉亭四迷

 150年弱の校歴を誇る愛知県立の名門・旭丘(あさひがおか)高校。経済界や政界で活躍する人材を多数、輩出してきたが、文化人や学者として名を残した卒業生もたくさん送り出してきた。

 明治以来の日本の文明開化をリードしてきた文化人がいる。とりわけ近代日本文学の先駆者となった人物がいる。

 もはや歴史上の人物になるが、小説家・坪内逍遥、二葉亭四迷の二人と、思想家の三宅雪嶺(せつれい)が、明治時代の初めに旭丘高校のルーツとなった愛知英語学校で学んでいる。

 坪内逍遥は主に明治時代に活躍した小説家・劇作家・翻訳家だ。『小説神髄』『当世書生気質』などが代表作。シェイクスピア全集の翻訳もあり、近代日本文学の成立や演劇改良運動に大きな影響を与えた。

 愛知英語学校から東京開成学校―東京大予備門(のちの旧制第一高校)を経て東大文学部を卒業した。早稲田大の前身である東京専門学校の講師となり、のちに早大教授になった。

 二葉亭四迷は尾張藩学校、愛知英語学校などで学んだ後、専修学校(現専修大)―東京外国語学校(現東京外国語大)露語科―東京商業学校(現一橋大)に進み、中退した。この過程で、ロシア文学に心酔するようになった。坪内とは5歳年下で、二人は20歳ごろから交流した。

『小説総論』『平凡』が代表作。1887~91年に出された写実主義小説『浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代文学の開祖となった。

 三宅雪嶺は、明治から戦前にかけて活躍した哲学者・思想家で、1943年に文化勲章を受章している。

 英詩人・文芸評論の野口米次郎は、愛知県尋常中学校(現旭丘高校)から慶応大に進んだ。海外の文芸思潮の紹介に携わり、また海外に日本文学を紹介した。