
2025年1月から放送がスタートしたNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の主人公・蔦屋重三郎(通称・蔦重)は、江戸時代の出版業界をけん引した人物。そんな彼とともに江戸を席巻した絵師のひとりが喜多川歌麿だった。歌麿は表面的な美しさだけでなく、その女性が持つ内面をも描き出し、新たな美人画のスタイルを生み出したパイオニアでもある。蔦重は、歌麿を自宅に住まわせるなど世話をして、自身が経営する書店「蔦屋耕書堂」の看板絵師に育て上げた。歴史小説も手掛ける増田晶文氏が、蔦重と歌麿の躍進を綴る。※本稿は、増田晶文氏『蔦屋重三郎 江戸の反骨メディア王』(新潮選書)の一部を抜粋・編集したものです。
ストーリーが浮かび上がる
歌麿による新時代の美人画
寛政5、6年(1793~94)も喜多川歌麿の快進撃は続く。
『当世踊子揃』『歌撰恋之部』『青楼七小町』といった美人大首絵シリーズ、吉原の遊女の七分座像シリーズ『当時全盛美人揃』、再び美人全身図に取り組んだ『青楼十二時』など、やることなすことすべてが好評だった。
ここで注目したいのは、吉原の遊女をモチーフとして取り上げたことだ。画中には遊女たちの名前はもちろん妓楼の名も明記してある。蔦重のホームタウン吉原は寛政の改革の締め付けで豪遊するお大尽が減り苦境にあった。並ぶ者のないほどの人気を得た歌麿を起用しての遊女美人画シリーズは、吉原にとって大きなパブリシティ効果を生んだはず。妓楼の経営者たちにとっては願ってもないことであり、あるいは彼らが内々に“広告費”を支払っていた可能性は否定できない。
蔦重にはそれを拒む理由がないし、当然、蔦重から持ちかけたと考えることもできる。さらにはモデルになった遊女や妓楼の主だけでなく、贔屓客だってかなりの部数を購入してくれたはずだ。
歌麿以前の美人画は描写が画一的だった。口元をわずかに緩めるか眼を細めた表情は穏健、美人の棲む画の世界は平和そのもの。画面から女の声がきこえてくるなら「あら、よい月だこと」「風が吹いてきた」程度の他愛のなさでしかなく、彼女たちの胸の内までは窺いしれない。