歌麿はこの時点で写真に終わらずモデルの内面を描く術まで手に入れていた。表の時系列でいえば『婦人相学十躰』『婦女人相十品』で披露した特色が、すでに裏の春画で発揮されていたことは刮目すべき事実。『歌満くら』のページをめくれば、水中で河童に凌辱される海女の顔には当惑、嫌悪、やるせなさが浮かぶ。それを、岩の上でもうひとりの海女が見つめている。彼女は微笑んでいるものの、その真意は決して単純ではなさそうだ。

情感たっぷりで
ドラマがある歌麿の春画

 また、料理茶屋での後家と間夫との情事では、女が喜悦だけでなく面映ゆさゆえに袂で顔を隠し、男はニヤけた表情で後家の裾に頭を突っ込んでいる。

 別の画は夜這い、毛むくじゃらのむくつけきオッサンが娘に無体を働こうとしている。ところが娘は気丈そのもの、男の顔に手をやって背けるばかりか、眉をひそませ男の腕にかぶりつく猛抵抗ぶり。

 茶屋の2階で逢引する男女は唇を重ねている。女は後ろ姿で顔がみえない。歌麿はこちらを向いている男も眼しか描かぬ。構図の工夫の卓抜さ、心憎い演出は『歌満くら』を名作たらしめている。しかも、男が手にする扇に書かれているのが宿屋飯盛の狂歌「蛤にはしをしっかとはさまれて鴫たちかぬる秋の夕くれ」なのだから蔦重ゆかりの穿ちが効いている。

逢引する男女が唇を重ね…浮世絵師・歌麿「以前」と「以後」の決定的な違い【大河ドラマ・べらぼう】『蔦屋重三郎 江戸の反骨メディア王』(増田晶文、新潮選書)

『歌満くら』の春画はどれもこれも情感たっぷり、実にドラマティックだ。

 切り取られた性事の一場面だけでなく、画にない前後のシーンまで眼に浮かぶ仕上がりになっている。蔦重としては、歌麿が春画でみせた新たな浮世絵の可能性を伸長させ、もっと早く美人大首絵として結実させたかっただろう。しかし、やはり寛政の改革下の筆禍事件が痛かった。

 それでも出版人あるいはプロデューサー、ディレクター、プランナー……としての蔦重の功績は色あせない。絵入狂歌本、美人画、春画の各ジャンルにおける歌麿初期の傑作がすべて蔦屋耕書堂の刊行であること、その事実が蔦屋重三郎の偉大さを物語って余りある。