蔦重は吉原遊廓の宣伝マンだった
2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう」の主人公・蔦屋重三郎について、朝日新書から一冊書かせていただくことになり、重三郎に関する史料を調べてみたところ、一次史料が皆無であることがわかり、愕然としました。
歴史の研究者は、研究にあたって一次史料をとにかく集めます。当事者の日記や手紙、当時の公文書などです。そして、間違いや怪しい一次史料を除いて過去の事実を明らかにするのです。人物の評伝も同じです。後世の記録(二次史料)だと、脚色やウソが混じってしまうので、できる限り一次史料から人物の実像をあぶり出す手法がとられます。
ところが重三郎には、日記どころか本人の手紙すら残っていないのです。これではとても正確な評伝は書けません。 とはいえ、伝えられている重三郎の人生は面白すぎます。 吉原遊廓という特殊な場所に生まれ、なぜか若くして版元という職業を選び、奇抜な企画によって書物や浮世絵を次々ヒットさせ、一代で大手の版元に成り上がりました。いったいどこからアイディアが湧いてくるのか、とても気になります。それに彼は、歌麿や写楽といった若手を発掘しました。どうやって人物の将来性を見抜いたのでしょうか。そのあたりを是非とも明らかにしたいと思いました。
そこで比較的信用できる二次史料と最新の研究成果を活用しながら、重三郎の生涯を書き進めていきました。
執筆するなかで、私が最も感銘を受けたのが、重三郎が幕府(権力)の弾圧に屈せず、人々の求める作品を世に送り続けたことでした。組織にいるかぎり、上に忖度しなければ生きていけません。だからこそ処罰されても態度を変えなかった重三郎の矜持に、強い憧れを感じました。
しかし、さらに調べを進めていくと、重三郎と関係の深かった喜多川歌麿や曲亭馬琴、葛飾北斎や十返舎一九なども、己の仕事に誇りをもち、老いても身を引かず、死ぬまで創作に精魂を傾けたことを知りました。江戸の絵師や戯作者たちを見る目が変わりましたし、何ともうらやましい生き方だと思いました。
さて、今年の大河ドラマに向けて、書店では蔦屋重三郎に関する書籍が多く並ぶようになりました。その多くが重三郎のメディア王としての活躍やプロデューサーとしての能力に焦点を当てたものになっています。
そうしたなかで、本書が類書と違うのは、吉原との関係にスポットを当てたところです。私は、蔦屋重三郎が吉原遊廓の宣伝マンであり、スポークスマンだったと確信するようになりました。重三郎が経営する耕書堂が刊行した膨大な作品のうち、吉原に関するものが過半を占めているのが何よりの証拠です。これだけ吉原作品の比率が多い版元は他には存在しません。
つまり、遊廓の有力者たちが、吉原育ちの才人・重三郎の出版事業を全面的にバックアップし、遊廓の維持・発展を目論んだのではないかと思うのです。