スポンサーが続々と撤退する
シンプルな理由
今回のスポンサー降板がおかしいと思っている人は、テレビ放送への広告出稿が単に「広告枠の売買である」という、大変シンプルなことを見落としている。
公共の電波であるとか、スポンサードして広告出稿するというのが少し特殊な商売であるがゆえに見落としがちであるが、「テレビに広告を出す」というのは、 “商売”なのだ。
「お金を払って広告サービスを利用する。そのサービスが効果的なら使っていくし、効果がないなら使わない」
その商売の基本原則からして、今、フジテレビに広告を出しても狙った効果が見込めないばかりか、マイナス効果にもなりかねない。だから、広告出稿を取りやめる。突き詰めれば、それだけのことだ。
スポンサーはなにも上から目線で罰を与えようなんてしていない。フジテレビがあくどい企業であるから社会的制裁を食らわせている、のではない。
あくまで対等なビジネス上の関係として――対等な関係だからこそ、商売相手として適切ではないと見なされたのである。
では、各社はどのタイミングで、商売相手としてのフジテレビを見限ったか。それは、テレビカメラを禁止して1月17日に行った、港浩一社長(当時、27日に辞任を発表)の最初の会見であろう。ここで港社長は、「商売人」として三つのミスを犯した。
スポンサー離れは社会的制裁ではなく
取引先としての「信用失墜」である
第一は、報道という自社の事業内容に照らして、その自社事業へのプライドが感じられない、ジャーナリズムの精神を感じられない会見であったこと。テレビカメラをシャットアウトし、一部メディアだけに絞り、大半の質問に対して答えられないとした対応は、自社商品の品質への疑念を与えるに十分だった。
テレビ局以外の事業に当てはめて考えるとわかりやすい。飲料メーカーが社内では自社飲料を飲まない、自動車メーカー社員が自社製品には乗らない、あるいは人事コンサルティング会社の営業マンが低いモチベーションで働いていたとして、あなたはその会社の商品を信用するだろうか。報道機関が報道規制をするとは、そういうことである。取引停止もやむなしだ。