口べたで人見知り、営業職に就いて最初はまったく売れなかった元野球選手は、なぜ高額の報酬を手にするトップセールスマンになれたのか。日本での刊行は1964年。世界中で50年以上にわたって読み継がれ、営業のバイブルとして知られるのが、『私はどうして販売外交に成功したか』(フランク・ベドガー著)だ。情熱を持って仕事にあたれば必ず成功できる、と説く27の原則とは?(文/上阪徹、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

私はどうして販売外交に成功したかPhoto: Adobe Stock

33台の車を買ったが、さてセールスマンは何人だったか

 営業という仕事の本質は、何十年経っても、ビジネス環境が変わっても、変わることはないのかもしれない。

 そんなことを感じさせられるのが、『私はどうして販売外交に成功したか』(フランク・ベドガー著)だ。むしろ、営業活動に有益で便利なツールがたくさん出てきた今こそ、改めて本質に立ち返ることは大きな意味を持つのではないか。

 著者は元プロ野球選手だった。だが、試合の最中に腕を痛め、野球を断念せざるを得なくなる。29歳で故郷のフィラデルフィアに戻ると、生命保険の外交員になるが、最初はまったくうまくいかなかった。

 ところが、それから12年の間にトップセールスマンとなり、巨万の富を築き、豪華な邸宅を買い、40歳で第一線を退いた。本書は、自身の体験に基づき、セールスとして成功するための27の原則を説いた1冊だ。

 セールスパーソンの仕事の中で、最も重要なものといっても過言ではないのが、新規の顧客開拓だろう。

 今や、インターネットを使ったさまざまな開拓ツールも登場しているが、今なおその難しさを実感している人も少なくないかもしれない。これは営業の永遠のテーマだ。27の原則の22番目に、「新しい顧客を得るには」という項目がある。

 その始まりは、著者の興味深い問いかけから始まる。

あるとき、今日まで私が何台の自動車を買ったかを計算してみたところが、三三台も買っていることがわかって、われながら驚いた。そこで、あなたに質問してみよう。この三三台の自動車を私に売り込んだセールスマンは、いったい何人くらいだったと思われるだろうか?(P.152)

 想像した方もおられるかもしれない。答えは、33人。これには、驚くほかない、と著者は記している。自分の知る限り、一度、自動車を売り込んだ33人のセールスマンのうちで、ただの一人も二度と自分のところに来た人はいなかったというのである。

営業でいちばん大事なこととは?

 この文章を書いている私は、フリーランスになって2年目、29歳のときに初めてドイツ車を買った。

 担当営業は、当時入社したばかりの新人で、テキパキと仕事をしてくれ、とても短い期間で納車をしてくれた。

 その後も定期的にお世話になり、私は彼を営業担当として20数年にわたって7台の車を乗り継ぐことになる。彼はやがて支店長に昇進し、さらには親会社に行ってしまい、残念ながら今は担当を外れてしまった。

 見事に出世したので、優秀なビジネスパーソンだったことは間違いないが、同じ営業担当から20年以上も車を買い換え続ける、ということが極めてレアケースだったことを私はやがて知ることになった。本書の著者が記しているように。

私が買うまでは、私に対して非常な関心を持っていた人たちであったが、いったん買ってしまった後は、一度ですら電話をかけて、車の具合はその後どうかと尋ねようとさえしないのである。車の代金を払って、取るだけのコミッションを取ってしまうと、とたんにこの世の中から姿でも消したかのように寄りつこうともしないのだ。(P.152)

 しかも著者は、全国各地を回って講演した際に、この話をして、「同じような経験をしたことはないか」と尋ねると、半数以上が即座に手を挙げたという。

 一方で、ある有名な自動車販売会社では、セールスマンのために「けっして顧客を忘れてはならない。と同時に、顧客からもけっして忘れられてはならない」というモットーを掲げてから、販売高で世界第一位になっていた。

顧客というものは、誰でもセールスマンから礼儀正しい態度で、行き届いた心づかいとサービスを持って応対されることを望むものである。まず自分自身が顧客の立場になって、率直な気持ちでよく考えてみればよい。(P.153)

 セールスパーソンとしての生涯を振り返ってみて、著者が最も遺憾に思うことは、顧客を訪問して、その利害関係を十分に研究し、それに対して完全なサービスをするために十二分の時間をかけられなかったことだという。

 そしてもし、顧客に対して徹底したサービスをしていれば、それほど気苦労もせず、肉体的にも多くを労せずして、もっと大きい収入を得て、もっと大きな幸福をつかんでいたはずだ、と。それは、過去の記録の中から多数の実例を挙げて立証することができる、と記す。

私がもし、今日までのセールスマンとしての生涯をもう一度初めからやり直してみることができるなら、「けっして顧客を忘れてはならない。と同様に、顧客からもけっして忘れられてはならない」というモットーを守り神として、これを自分の目の前の壁に掲げておくに違いない。(P.154)

 というのも、顧客を大事にすることは、新しい顧客を得るために大いに生きてくるから、である。顧客によるリピートも含めて、だ。アフター・ケアは、単なるケアにはとどまらないのである。

買った人をフォローすることで起きること

 実例が挙げられている。著者はかなり大きな家を買った。場所は気に入ったが、あまりに高いお金を出したため、売買契約をした後になって、失敗だったかもしれない、と思い迷うようになった。なんとなく高いものを買ったという後悔らしいものを感じ、後味が悪かったのだ。

 ところが、新しい家に引っ越しをして2、3週間経った頃、家を世話してくれた不動産のセールスマンから電話がかかってきて、会いたいと言ってきた。不審に思ったが会ってみると、この家を買った慧眼を褒め称えてくれた。

 さらに、この場所について、また周辺の住民にまつわる面白い話を聞かせてくれた。それから外に連れ出してくれ、付近を散歩しながら、美しい家々の持ち主の名前などを教えてくれた。著名人の名前もあり、著者はここに住んだことに一種の誇りを感じることができた。

このセールスマンは、この家を私に売りつけようと努力していたときよりも、むしろ私のものになってしまってから、この土地家屋が私にとって、とても立派な財産であるということを言葉を強めて祝福してくれた。
彼の訪問を受けて、私はこの家を買ったことがけっして失敗でなかったということをあらためてはっきり感じることができて、それからは気持ちも朗らかになった。そして私は彼の親切を非常にありがたいとさえ感じた。(P.155)

 以来、そのセールスパーソンに好意と親密感を抱くようになり、売り手と買い手というよりも親しい友だちとして付き合うようになった。

彼にしてみれば、売買契約の済んでしまった後の土曜日の午前を私への訪問でまるまる時間をつぶし、つぎの見込客に会う時間を空費したことになる。しかしながら、それから一週間ほど経って、私は彼を電話に呼び出して、私の家の近所に建っている家を欲しがっている親友を紹介した。友人は、その家は買わなかったけれども、間もなくこの不動産屋は注文どおりの家を探して、相当大きい取引をまとめた。(P.155-156)

 この話を聞いた一人の男が著者のところにやってきて、こんな話をした。

 小柄な高齢のご婦人が店に来て、美しいダイヤモンド入りのブローチを買った。著者の「顧客の財産をたいせつにせよ」という話を思い出し、このブローチがいかに素晴らしいか、これを身につけて歓んで欲しいと伝えた。

 すると婦人は目に涙を溜め、実はこんな高額なものを買うなんてどうかしていると思っていたが、あなたの話を聞いてうれしくなった、と返したのだという。そして1時間も経たないうちに、婦人の友人を連れて店にやってきた。

かつて私は、フィラデルフィアのチェストナッツ街で(中略)アメリカでも最大の卸業者の一人と言われているポコックに会ったとき「新規の取引を開くのに必要な最上の拠り所はなんですか」と尋ねたところ、「それは商品を使用してくれる人ですよ」とひと言で返された。(P.158)

 既存顧客への訪問は、新規顧客ほど難しくない。そして既存顧客には、手厚いフォローもしやすい。

 そこから新規顧客の紹介がもらえれば、有力な見込み客となる。新規の顧客開拓の秘密は、実は多くのセールスパーソンが気づいていない、意外なところに潜んでいたのである。

上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。書籍や雑誌、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。これまでの取材人数は3000人を超える。著者に代わって本を書くブックライティングは100冊以上。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『彼らが成功する前に大切にしていたこと』(ダイヤモンド社)、『ブランディングという力 パナソニックななぜ認知度をV字回復できたのか』(プレジデント社)、『成功者3000人の言葉』(三笠書房<知的生きかた文庫>)ほか多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。