顧客と最前線で接する最初の15秒の接客態度”真実の瞬間”が、その企業全体の印象を決めてしまう。この”真実の瞬間”という言葉を広めたのが『真実の瞬間 SASのサービス戦略はなぜ成功したか』という書籍だ。スカンジナビア航空の業績を急回復させた著者のメソッドや思考がぎっしり詰まっている。今回は、サービススキルに関してだけではなく、戦略・マネジメントなど、まさに経営全般について書かれたこの1冊から読者に有益な情報をお伝えしていく。(文/上阪徹、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

真実の瞬間Photo: Adobe Stock

航空会社の顧客は営業所の建物や資本運営に興味があるか

 刊行は1990年。約35年も前の本だが、書かれた内容はまったく古さを感じさせない。

 企業が抱えている課題が、実はほとんど変わっていないのではないか、とすら思える。そして企業が変わっていくということがいかに難しいか、ということも教えてくれる。

 著者のヤン・カールソンは、1979年から2年連続で巨額の赤字を計上していたスカンジナビア航空の社長に就任。

 わずか1年で黒字経営を達成し、専門誌によって年間最優秀航空会社に輝くなど、再建に成功した経営者だ。

 彼がスカンジナビア航空の再建のために取り組んだ戦略は、シンプルなものだった。それは、顧客本位の企業に生まれ変わること。

 その象徴こそ、顧客と最前線で接する最初の15秒の接客態度“真実の瞬間”だった。それこそが、企業の成功を左右する。

 世界の経営者やビジネスパーソンを、まさにハッとさせ、本書は世界中から注目される1冊になった。

 なぜ、“真実の瞬間”なのか。

私たちはこれまで、航空機やメンテナンス施設、営業所、業務システムなどの集積が、スカンジナビア航空そのものなのだと考えてきた。しかし、顧客にスカンジナビア航空についての感想を求めた場合、はたして彼らは航空機とか営業所の建物、あるいは資本運営のことなどについて語るだろうか。旅客はきっと、スカンジナビア航空の従業員が自分たちにどう接したかという点を取り上げるはずだ。(中略)重要なのは、顧客に直接接する最前線の従業員が提供するサービスの質だ。(P.5)

 1986年、1000万人の旅客が、それぞれほぼ5人のスカンジナビア航空の従業員に接したという。

 一回の応接時間が、平均15秒だった。1回15秒で、1年間に5000万回、顧客の脳裏にスカンジナビア航空の印象が刻み付けられた。この5000万回の“真実の瞬間”こそ、顧客の評価の対象だったのである。

顧客を知る人が、問題を処理する権限を持っていない

 “真実の瞬間”が重要なのは、サービス業に限らない。

 製造業にも、顧客がいる。“真実の瞬間”は、顧客のいる、あらゆる業界にあるのだ。

 ところが、“真実の瞬間”は果たして重要視されているか。もしかして、最前線の現場の“真実の瞬間”をまるで知らない人たちが、歪んだ指示を出したりはしていないか。

真に自分たちの会社を、顧客の個々のニーズに応える企業にするつもりなら、現場からかけ離れた部署でつくられた規則書や指示書に頼ってはならない。一五秒の真実の瞬間にスカンジナビア航空を代表している航空券係、客室乗務員、荷物係といった最前線の従業員に、アイデア、決定、対策を実施する責任を委ねることが必要だ。(P.6)

 本書ではサッカーをめぐるエピソードが紹介されている。

 サッカーではもちろん、監督やコーチは重要な存在だが、最も重要なのは選手であることは言うまでもない。試合中に自分の判断で動くことができる選手だ。

 それこそボールを奪って敵のゴールに突進しているのに、途中でベンチに駆け寄って、「どうすればいいでしょうか」などと指示を求めるような選手では、試合に勝てるはずもない。

 サッカーでは当たり前に理解できることが、仕事ではそうではなくなる。そのために、取り組むべきことがある。

その方法は従来の企業形態を逆転させるが、私はその逆転が必要だと考えている。(P.6)

 従来の企業形態は、ピラミッド上の組織だ。頂点の経営陣と何層かの中間部、市場に接する底辺からなる。決定事項が多いので、経営陣は意思決定作業に忙殺される。そこで、決定を社内に通達する中間管理者が必要になる。

 大勢の中間管理者が、経営陣の決定を司令や規則、方針命令の形にして、最下部の従業員に従わせる。しかし、中間管理者は、実はピラミッドの上層で決定した意思を伝えるメッセンジャーに過ぎないというのだ。

ピラミッドの最下部に、ブルーカラーとホワイトカラーの現場従業員がいる。その従業員たちは、毎日客と接し、会社の最前線の業務に最もよく通じている。しかし皮肉なことに、その人々はたいてい、しょっちゅう直面する個々の問題を処理する権限をもっていない。(P.7)

 仮に自分の判断で動くことができたとしても、その権限がなければ意味がない。実は、とてももったいない状況が起きていたのだ。

「どうせ経営陣に上げても無駄だ」が起きる理由

 個々の意思決定を、企業の上層部ではなく、現場に行うように責任を分散すべきだと著者は記す。

 スカンジナビア航空は、その考え方に基づいて再編成され、責任者が任命されるに至った。実際、4週間にわたって著者は休暇を取ったが、1本の電話も鳴らなかった。

 社長が1カ月も完全に職務から離れるなどというのは、当時では考えられないことだった。なぜなら、経営者は重要な意思決定をすべて自分で行わなければならなかったからだ。

 絶え間ない意思決定が経営者の職務であり、夜も週末も働き続けるのが当たり前だった。事業の全貌を把握しているのは経営者だけだから、重大な意思決定を誰かが代行することはできなかった。

そうした機構は一見、社長が企業経営の全責任を負っている体制にみえるが、実際はまるで逆である。(中略)重要な問題がすべて経営者の手に委ねられ、経営者が卓越した意思決定者だったとしても、彼にはすべての問題を検討して、適切な判断を下せるだけの時間はないはずだ。(P.48)

 するとどうなるか。多くの意思決定が懸案として残るが、他の誰も意思決定はできない。そして、多くの社員が、どんなにいいアイデアを提案しても、「どうせ上層部は実施には踏み切らないだろう」と考えるようになっていく。

 やがて、アイデアも出さなくなる。新しい取り組みはできなくなり、社員のモチベーションも下がっていく。これは今の企業社会でも「あるある」なのではないか。

 そして、本当のリーダーがやるべきは、ビジョンを作っていくことだと説く。

真のビジネス・リーダーの職務は、それよりはるかに困難なものなのだ。
新しい総合戦略を提案してくれる者はだれもいない。自分で考えなければならない。全体の戦略構想ができあがったら、いろいろな人の力を借りてそれを戦略目標におきかえなければならない。目標達成のための経営戦略を立てるのだ。その目標と戦略を取締役会と労働組合、全従業員に理解させなければならない。現場従業員により多くの責任を委ね、彼らが思い切って新しく与えられた権限を行使できるような職場環境をととのえるのだ。
(P.48-49)

 もとより経営者がすべての業務に通じているわけではない。実際、著者も過ちを犯した。貨物部門の戦略について、まったく事情がわからないにもかかわらず、意思決定を行なってしまったのだ。

 結果は失敗だった。貨物部門の幹部たちが、自由に自分たちのアイデアを出し合える雰囲気にしてやるべきだったのだ。

経営環境を変えようと思っても、経営者が企業ピラミッドの頂点から、すべてをコントロールすることはできない。現場従業員に権限を委ねなければならない。市場の変化を感知できるのは彼らなのだ。(P.54)

 スカンジナビア航空はそれを実現させた。そして分権化は、従業員の独創性を解放した。

 すべての部門からすぐれたアイデアが湧き出て、全社的なビジョンの達成を目指して、一斉に動き出していったのである。

上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。書籍や雑誌、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。これまでの取材人数は3000人を超える。著者に代わって本を書くブックライティングは100冊以上。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『彼らが成功する前に大切にしていたこと』(ダイヤモンド社)、『ブランディングという力 パナソニックななぜ認知度をV字回復できたのか』(プレジデント社)、『成功者3000人の言葉』(三笠書房<知的生きかた文庫>)ほか多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。