ダオはそれに応じず、スタッフは警備員を呼んだが、なんと彼らは力ずくでダオを飛行機から引きずり下ろした。ダオは69歳の身幅の狭いベトナム人で、最近刈ったばかりの黒々とした髪の持ち主だった。搭乗に際し、黒のパタゴニアセーターを着込みカーキ色のキャンパス生地の帽子をかぶって品の良い格好をしていた。その帽子は口論のあいだにたたき落とされてしまった。

 ダオについて記事を書いた私のアジア人の友人やアジア系アメリカ人のジャーナリストは、皆が同じことを言った。「ダオは自分の父親を思い出させる」。

 それは彼が私たちの父と同じくらいの年齢であるばかりではない。彼のきちんとした控えめな外見が親しみを覚えさせたためだ。彼のこれという特徴のない外見は、快適さのためというよりむしろカモフラージュのためであり、温和で自己主張をしないプロ精神を相手に見せようとして育まれたものだった。

 彼の外見はこう語っていた――私は場所をふさいだり、大騒ぎするような人間じゃありません、と。そうなのだ、言いつのるような人間ではないのだ。

 その声は、ダオが意識を失い、眼鏡が斜めにずれ、趣味の良いセーターがぽっちゃりした腹部が露出するほど引き上げられたまま通路を引きずられる姿よりも、こちらの心をかき乱した。彼が通路を引きずられる前に、3名のスタッフがまるでマングースの首筋をつかんで穴から引っ張り出すように窓際の席からダオを無理やり引きはがしたのだ。それから私たちは、ダオがイタチの唸るような声を上げるのを聞いた。

飛行機の中を逃げ惑う
デヴィッド・ダオの叫び

 エコノミークラスのキャビンという公共の場でその声を聞くことは、心臓が止まるくらいショッキングで、恐怖さえ感じさせた。彼は粗相していた可能性もある。上品な話し方をする人間と世間に認めさせるのに、いったいダオはどれだけの年月を費やしたのだろうか?