元「チャットモンチー」ドラマーの作家&作詞家・高橋久美子さんの新刊『いい音がする文章』では、さまざまな名曲の歌詞の素晴らしさや味わい方を紹介しているパートがあります。
本記事では、優里さんの『ドライフラワー』について言及した部分を紹介します。(構成・写真/ダイヤモンド社 今野良介)
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作詞家志望の方向けに作詞講座をすることがある。
講座の最初に生徒さんによく言っているのが、「日記を書くように書いてみてください」ということだ。
日記ほどオリジナリティーの高い作品はない。二番煎じの今日は存在しないからだ。世界中の誰も、あなたと同じ今日を生きてはいない。
もちろん全部がリアルである必要はないけれど、生の言葉は技術を超える。
たとえば、鳥と聞けば「羽ばたき」がちである。または「大空」を「旅」しがちである。
でも、実家で農業をしていると、大半の鳥はわりと近場をくるくる回っているだけで、そんな大空まで飛ばないとわかるし、渡って海外まで行っている種なんてほとんどない。
むしろ、土を掘ってねずみのように下から獣害防止ネットの中に入り、植えたばかりの大豆を食べていた。ひー。リアルは想像を超えるのだよ。
いつだって新鮮な目で街を見つめて、日記帳ならぬ発見帳に書くことを勧めている。
大ヒットした優里さんの『ドライフラワー』を聴いたとき、過去の恋愛をドライフラワーに喩えるなんて美しいと思った。
しかし、よく聴くと、ドライフラワーが「残る」ものの象徴ではなく、「色褪せる」ものとして使われていることにギョッとした。
優里『ドライフラワー』より
と言っていたのだ。
これは本当にドライフラワーを部屋に飾ったことのある人にしか書けない歌詞だ。
ドライフラワーとて永遠ではなく、次第に色が抜けて数年で捨てることになる。
表面的なイメージでなく、現象をときに科学的に分析して書くこと。
どこから光を当てるかで、物事はまるきり色が変わる。『ドライフラワー』においての逆説に、私は目を見開いた。
(おわり)