とはいえ、その時代には、今ほどヴァイオリンの教室などがあったわけでもなく、親はいろいろ調べて、M先生という年配の男の先生に習うように手配してくれました。

 ところがその先生が、もう渋い顔したおっかない老先生だったこともあり、なにかと叱られてばかりいた私は、だんだんとレッスンに通うのもさぼるようになり、しまいに、小学校4年生の頃に家を引っ越したのを境にヴァイオリンはやめてしまいました。今から思うと、いかにももったいないことをしたと思うのですが、きっと、そこまでの才能がなかったのでしょうね。

 とはいえ、音楽自体はとても好きで、歌なんかもしょっちゅう歌っていましたし、小学校高学年では、学校のハーモニカの合奏団に入れてもらって、あれこれの曲をたのしく吹いていた記憶があります。

 高校時代は、学校の芸術科目は絵画コースをとったので、音楽の授業はなかったのですが、ちょうどその頃アメリカのモダンフォークソングがブームであったこともあって、独習でフォークソングのギターを弾くことを覚え、大学時代は、もっと本格的にクラシックギターの練習に励んだものでした。

 しかし、よくよく思い出してみると、私が音楽好きになったのは、家族の影響が大きかったかもしれないと考えています。母は大正生まれのモダンガールで、声楽が大好きで、ラジオやテレビからオペラ歌手の歌声が聞こえると、嬉々として聞き入っているような人でした。若い時代には、学校や地元サークルのコーラスなどにも積極的に参加して、歌うことを楽しんでいたのを覚えています。私もそういうコーラスの練習についていって、『どじょっこふなっこ』などの歌を、大きな声で歌った記憶がうっすらと残っています。

 兄も音楽が好きで少年時代にはマリンバを習って演奏していましたし、高校から大学にかけては混声合唱団で活動していました。また、妹は小さい頃からピアノを習い、小学校から国立音楽大学の附属小学校に入学し、大学までピアノを続けていました。