私が主宰している句会(夕星俳座)は、毎月1回オンラインで開催しています。

 以前はリアルな句会を開いていたのですが、コロナでzoom式に変更し、以来ずっとその形で続けています。

 そのリアルで句会を開いていたときも、世の句会にはたいてい付随している、会の終了後に食事をしたり歓談したりする場は、私の信念から一切設けず、句会終了後ただちに散会、という方針を徹底していました。句会の最中に俳句について、あれこれ語り合い、議論し合うのは有益ですが、お酒を飲んでだらだらとおしゃべりに時間を使うのは無意味なので、飲み会を開催する必要性など毫も感じたことがありません。

 かつて他の句会に参加したとき、終了後の食事会につきあった経験もあるのですが、やはり酒の上の無駄話を延々と聞かされただけで1つも得るものがありませんでした。

無用なつきあいに巻き込まれると
「時間の無駄遣い」に気づきにくい

 かくして私は、会が終わったらただちに散会、のルールを徹底していたのですが、みんな句会を楽しんでいますし、もとよりzoom句会では、飲み会のやりようもなく、それでもう14年も続いています。

「趣味の集まりに参加するなら、飲み会やお茶会への参加が義務なのでは?」と聞かれることがありますが、それは大きな誤解です。

 常識のある人たちの集まりであれば、「家に小さい子どもがいるので」「年老いた母親の介護をしているので」とかいえば、つきあいを回避することはできます。

 それでつまはじきにされる心配は無用ですし、逆に飲み会を強制するような集まりはさっさと辞めればよいのです。

 厄介なのは、無用なつきあいに巻き込まれているうちは、時間の無駄遣いをしているという事実に気づきにくいということです。

 つきあいがあるなら参加しないといけないような気もするし、参加すると楽しいような気もするので、ずるずると参加する。そのうちに自分を正当化して「練習後の飲み会が楽しみ」「みんなと交流して語り合っている時間が有意義」などと思うかもしれません。