2021年、文科省は小学校の学級編成の標準を約40年ぶりに現行の40人から35人へと引き下げたが、35人学級は世界基準ではもはや「少人数学級」と呼べるようなサイズではない。
これまで、日本の公教育は机上での勉強にとどまらず、掃除や給食の配膳、部活動や委員会活動、そして合唱コンクールや修学旅行といった学校行事など、その多岐にわたる教育が世界的に非常に高い評価を受けてきた。
子どもの成長とは無関係の事務作業は確かに削る必要があるが、授業だけでなくさまざまな環境で見つめる教員だからこそわかる、子どもの良さや課題がある。
授業以外のそれらの業務を1つひとつ削ぎ落としていけば、確かに教員の勤務時間は減るだろう。だが、学習指導要領の改訂がこれまで以上に学習到達度と結果責任を強調していることを考えれば、確実に学校の「塾化」が進んでしまう。
求められているのは、教科指導以外の業務削減によって教員の勤務時間を削減することではなく、これまで教員の善意と使命感のみで支えられてきた授業以外の業務を、実際に必要な人と予算をつけて維持することなのではないだろうか。
「財政が厳しい」と強調する政府を前に、これ以上の投資を政府に期待するのは現実的でないと批判する人もいるだろう。しかし、一度立ち止まって考えてみるべきではないだろうか。そもそも、子どもの学習権の保障は、景気や財政状況に左右されてよいものなのだろうか?
教育は経済的要求に従属せよ
という新自由主義的な価値観
「学校における働き方改革」
その名前からはポジティブなイメージしか湧かないが、実は諸刃の剣であり、新自由主義的な環境の中で断行されれば、逆に破壊的な効果を教育界にもたらす危険性がある。
だからこそ、安倍政権以降進められてきた「働き方改革」とは一線を画した教育条件整備が求められている。
安倍政権は「働き方改革」を国政の最重要課題の1つと位置づけ、文部科学省だけでなく経済産業省までもがそれを強力に後押しした。