しかし、それは何のための「働き方改革」だったのだろうか。安倍元首相は、「一億総活躍社会を目指す私たちにとって、『働き方改革』は最大のチャレンジ」と明言していた。

 つまり、一番の狙いは、高齢者や主婦など、これまで働いてこなかった人々が働けるようにする仕組みづくりであり、少子高齢化対策として浮上した「一億総活躍社会」という社会構想の実現だった。

 だからこそ「柔軟な労働制度」というキーワードとともに、ICT(情報通信技術)を用いた遠隔労働やフリーランスの働き方を前面に出したのだ。ちまたで「働かせ方改革」と揶揄されたのも無理はない。

「第四次産業革命」「人生100年時代」「グローバル化」を生き延びるために世界各国が「能力開発競争」に挑む時代…。平成29年度補正予算の概要にて、当時の経産省はそんな言葉で時代を展望した。

 そして「日本経済・地域経済・中小企業を動かす人材を育む『人づくり革命』を進めるべく、学校教育・企業研修等の現場において、AI等の先端技術や産業・学術・芸術・スポーツ等のあらゆる分野の知を総動員した新たな学びを可能にするEdTechの開発・実証を進め、国際競争力ある教育サービス産業群を創出する」と謳った。

 その随所に見られたのは、教育は経済的要求に従属するものという新自由主義的な価値観であり、官民連携による教育産業の活性化と、公教育を利用した新たな労働市場の開拓という安倍政権のアジェンダだった。

 公教育の新自由主義化を加速したい安倍政権は、教員の過労死や「ブラック部活動」が社会問題に浮上したことで、「教員のため」の改革という大義を手にしてしまったのだ。

部活動は富裕層の特権に?
改革がもたらすリスク

 このような政治背景において、教員の負担削減の名の下に「学校における働き方改革」が強力に進める官民連携事業は、「諸刃の剣」どころか日本の公教育に民営化をもたらす「トロイの木馬」となりかねない。