暴れ出す知的障害者
馬乗りになる職員

 しかし、困ったことに、ヤス君はたまに暴れる。切れ長の目を精一杯ひんむくと、床に横たわったまま椅子を蹴っ飛ばし、他の利用者を引き倒し、それこそ「火事場のバカ力」をいかんなく発揮する。

 スタッフがすぐに止めに入り、落ち着くように声かけをする。が、一旦暴れ出すと、それぐらいでは効き目がない。2人がかりでヤス君の腕や足を掴まえて暴挙を封じるが、腕を「担当する」スタッフはそれこそ怪我が絶えない。ヤス君の尖った爪の先が手首に深く食い込み、いつも流血の憂き目に遭う。私の両手首も何度、血に染まったことか。

 他の利用者に害が及ばないよう、ヤス君はいつも2人がかりで担ぎ上げられ、ミーティングルームに運び込まれた。その頃にはヤス君の興奮はたいがい沸点に達している。顔面は紅潮し、奇声を発し、職員も馬乗りにならざるを得ない。ヤス君は馬乗りになったその職員に唾を吐きかけるなどもした。いくら「落ち着いて」と声をかけようが、こうなってしまうと逆効果である。

 ヤス君が落ち着くのは、たいがいが精魂尽き果てたときだった。このとき初めてスタッフは拘束の手を解くが、その後のヤス君はと言えば、何事もなかったかのように、周囲に愛嬌を振りまくなど、いつもの穏やかな姿に立ち返る。

初めて会う人に
かまってほしい

 なぜヤス君は突然暴れ出すのか。しばらくその理由がわからなかったが、そのうちにおよそ3つの要因らしきものが浮き彫りにされてきた。

 1つは新人スタッフと初めて顔を合わせるときである。ヤス君にも自己承認欲求や他者に対する強い愛着心があるのだろう。

「初めて会う人に、注目してもらいたいんじゃないか。かまってほしいあまりに、人に手を出したり、暴れたりするんだよ」

 こういう声がスタッフからも出たが、たぶんそれは正鵠を射た分析である。私も「被害者」の1人で、新人スタッフが入職したその日に、背後からヤス君の「襲撃」を受け、メガネを一瞬にして破壊された。

 ヤス君の「暴挙」の誘発因子と考えられるもう1つは、自分の気に入った女性職員が、T作業所に支援員として入ったときである。このときも、前記と同じように、自己承認欲求が他者への攻撃に転嫁されると考えられた。実際、その女性職員がT作業所勤務を離れ、グループホーム専従の世話人になってからというもの、ヤス君の「暴挙」は影を潜めた。