胸倉をつかむ手写真はイメージです Photo:PIXTA

著者が入職した知的障害者施設は、「利用者様に寄り添い、その自立を支える」という理念を掲げている。しかし、寄り添うだけではままならない日常が繰り広げられていたのだった。※本稿は、織田淳太郎『知的障害者施設 潜入記』(光文社新書)の一部を抜粋・編集したものです。

「来年の○月×日は何曜日?」
瞬時に答える脅威の記憶力

「ヤス君」は虚弱体質で、精神の発達遅滞に加え、中重度の知的障害も抱えている。作業所では椅子に座ったまま、ほとんど作業の手を動かすことがない。いつも薄く開いた目を周囲に向け、視線が合ったスタッフには手を振って愛嬌を振りまく。

 コミュニケーションは成り立つようで、どこか微妙にズレている。散歩中の会話では「今日は天気で気持ちいいねぇ」「は~い。気持ち悪いねぇ」。歩を促すために「イッチニ、イッチニ」。そう声をかけると、同じように「サン……ニィ……イッチ~」とくり返しながら、なぜか足を止めてしまう。

 このヤス君が、こと記憶の想起や計算の段になると、驚くほどの天賦の才を発揮した。あまりにも記憶力が良いので、試しとばかりに「来年の○月×日は何曜日?」と聞いたことがある。ヤス君がその正確な曜日を即座に答えたので、今度は「2年前の○月×日の曜日は?」と聞いた。彼は考えるように両手の指先を口の前で忙しく動かすと、ややあってその曜日も正確に答えた。

「37年後の○月×日は?」などと無理難題を吹っかけたときは、さすがに黙り込んだものの、全国の路線図に対するアベッチ(編集部注/全国の路線図を記憶している利用者)がそうだったように、ヤス君の頭にも数年分のカレンダーが丸ごとインプットされているのだろう。

 このヤス君の才能は「サヴァン症候群」の特徴と見事に一致した。サヴァン症候群とは知的障害や発達障害を抱えながらも、一方で突出した才能を併せ持つ症状を指す。特に自閉スペクトラム症の子供に多いとされているが、彼らの常人を超えた能力には、以下のような特徴があるという。

 地理や道路など、それが込み入ったものであろうと、一瞬にして覚える。時計に頼らず正確な時間を把握する。円周率の数字を何百桁、ときに1000桁も記憶する。そしてヤス君のように、指定された年月日の曜日を即答できる……。