【大人の教養】「官僚って何?」が1分でわかる“すごい図解”
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
人類の歴史は、交易、外交、戦争などの交流を重ねるうちに紡がれてきました。しかし、その移動や交流を、文字だけでイメージするのは困難です。地図を活用すれば、文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が鮮明に浮かび上がります。
本連載は、政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図や図解を用いて解説するものです。地図で世界史を学び直すことで、経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの世界史講師の伊藤敏氏。黒板にフリーハンドで描かれる正確無比な地図に魅了される受験生も多い。近刊『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者でもある。

【大人の教養】「官僚って何?」が1分でわかる“すごい図解”Photo: Adobe Stock

「官僚って何?」あなたは答えられますか?

 大河の流域に都市国家が林立すると、水利や農地の帰属などをめぐって争いが絶えなくなります。都市国家間の抗争、いわば戦争を通じて、強大な都市国家が近隣の都市国家を支配下に置くようになります。こうして、強大な都市国家のもとに中小の都市国家が従属する、「都市国家連合」が各地で形成されます。都市国家連合は、広域支配の第一歩ともいうべき国家形態です。

都市国家の解体―都市の支配の限界とは?

 その典型が、古代中国の初期王朝=夏(前2070頃~前1600頃/長らく伝説とされながら実在の可能性が高まっています)、殷(前1600頃~前1100頃)、周(西周:前1100頃~前770)です。

 ですが、当時の都市国家同士の結びつきは、比較的緩やかであったと言わざるをえません。したがって、都市国家連合は最終的に解体される運命にあります。例えば、周が王室の内紛の末に東方に遷都する(東周)と、各地の邑(都市国家)の支配者(諸侯)が、周王の権威凋落にかこつけて自立を進め、春秋・戦国時代という戦乱の時代を招きます(前770~前221)。

 では、地方の都市国家の離反を防ぐには、どうすればよいでしょう?

 この問題に関して、オリエントでは早くから「領域国家」の形成が進みました。そもそも、都市国家連合では、地方の都市国家の君主(王)はそのまま従来通りの統治をします。人的・物的資源に限りがあった国家の草創期では、都市国家が他の都市国家を支配する場合、上位の都市国家が下位の都市国家から貢納(みつぎもの)を徴収することで支配―被支配の関係を、かろうじて構築していました。このため、両者のつながりが比較的緩やかだったのです。下図(図6)を見てください。

【大人の教養】「官僚って何?」が1分でわかる“すごい図解”出典:『地図で学ぶ 世界史「再入門」』

こうして「官僚」が誕生した

 そこで、次第に大都市国家の君主(王)は、地方の都市国家の君主(王)の権限を奪う(あるいは王の存在を排除する)などして、地方の支配権を集約していきます(中央集権化)。代わって、中央の王に任命された役人が派遣され、各地の統治に臨むのです。この地方統治に臨む役人を「官僚」といいます。

 前近代において、洋の東西を問わず、「官僚」とは地方統治を担う役人、とりわけ徴税にあたる役職だと考えてください。

 官僚を地方に派遣して徴税する地方統治体制は「官僚制(家産官僚制)」と呼び、この官僚制を敷いた国家を「領域国家」と言います。下図(図7)を見てください。

【大人の教養】「官僚って何?」が1分でわかる“すごい図解”出典:『地図で学ぶ 世界史「再入門」』

 史上最初に官僚制を整備した、すなわち世界初の領域国家と見なされているのが、アッカド王国です(前24世紀~前22世紀)。アッカドの建国者であるサルゴン1世はシュメール人の都市国家群を征服し、各地の都市国家の王は残されたものの、その役割は現在の知事と同様に見なされました。アッカド王国のメソポタミア支配は200年ほどでしたが、これを模範とした領域国家が、オリエント各地に割拠するのです。

(本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の一部抜粋・編集したものです)