琥珀(こはく)色の液体も透明な液体も、未練がましい香気を放ちながら排水口から消えていった。空の瓶やボトルも中を徹底的に水でゆすぎ、翌月初めのリサイクルゴミに出すべく、まとめて表のコンテナボックスに放り込んだ。

 これが本当にただ捨て鉢で衝動的なものだとすれば、いとも簡単にふたたび飲酒をしてしまうのではないか。そんな疑念も心にあった。

 それでも飲酒へのむなしさ、習慣的に呑み続けることへの疑問が、冷たい石ころのようにずっと体の中心にあったおかげで、断酒という言葉が現実味を帯び、ただ事ではないような気がしていた。

 これは約束事と考えた。

 そして約束という言葉は何よりも重い。

 誰に対しての約束も、けっきょくそれは自分に対してするものなのだ。

 そんなわけで61歳にして、初めての断酒決行。

予想していても
つらい禁断症状

 最初の数日がつらかった。

 3日の禁酒を経て、ついに4日目。ここからは未知の領域である。

 予想通り、禁断症状がやってきた。

 文字通り喉から手が出るほど、酒が欲しい。仕事をしているときも、ぼうっとしているときも、酒のことが頭に浮かぶ。泡を載せた生ビールの呑み心地を思い出し、ロックアイスを入れたバーボンの香りと味を想像する。その欲求を抑え込むようにして、頭の中の幻を必死に消しゴムで消しにかかる。

 とりわけ、いつもならばこれから呑み始めるという時刻――夕方がいちばん応えた。気がつけば酒のことばかり考えている。どうしてビールや焼酎が手元にないのだろうと思う。あわててその気持ちを振り払う。

 夕方になる前から、書斎の窓にブラインドを下ろした。

 とっぷりと日が暮れても、「今はまだ昼なのだ!」と無理に自分にいい聞かせ、仕事に打ち込んだ。ひたすら原稿を書き、ゲラ(校正紙)の赤入れをやった。

 不思議とこのやり方が功を奏して、身体の奥からむくむくと立ち上がってくる酒への欲求あるいは飢餓感が、いつしか消えているのに気づいた。

 アルコールの禁断症状は離脱症状ともいわれる。

 これが自分の身に起きるということは、間違いなくアルコール依存症だという証拠である。

 それまで何度となく他人にいわれるたび、俺は依存症ではないと否定してきた。あれやこれやと理屈を並べ、理由を作って呑み続けてきた。まさに「否認の病理」だ。